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2021.06.08

リットーミュージック

セクシー歌謡全盛時代(4)

text by 馬飼野元宏

歌謡史の裏街道的な扱いを受けながらも脈々と生き続けてきたセクシー歌謡の100年をまとめた『にっぽんセクシー歌謡史』が発売された。奥村チヨや山本リンダといったセクシー系歌手のルーツを探り、その進化と変貌のプロセスを検証した大作である。本書の中から「セクシー歌謡全盛時代」の章を5回に分けて丸々公開する。ぜひご一読いただきたい。

小悪魔的魅力の三東ルシア

 アイドル的要素とセクシー歌手の折衷という点で、安西マリアに続くシンガーには三東ルシアがいる。彼女は1958年生まれで、73年頃から里見レイの名でCMモデルとして活動していた。74年に、日劇の『NOW オンステージ』の舞台を観劇に行った際、上条英男にスカウトされ、上条はわざわざ三東のために「エル・プロモーション」なる芸能事務所まで設立したほどの力の入れようであった。75年1月に「危険な春」でコロムビアから歌手デビューを果たし、同時に東映映画『青い性』で女優としてもデビューを飾った。

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 『青い性』は、東映で梅宮辰夫の『ポルノの帝王』や梶芽衣子の『女囚701号・さそり』、渡哲也の『仁義の墓場』などの助監督をつとめた小平裕の第1回監督作品で、三東ルシアの役どころは、毎日退屈している16歳の不良少女。万引き、家出などを繰り返す日々の中で、イケメン青年と出会い恋に落ちるが実はイケメンは宝石強盗の一味で...といった、なんだかよくわからない青春映画だった。イケメン男を演じたのは当時、東映の新進スターだった星正人で、星と三東の水着姿でのラブシーンなど、要はそこだけが見どころの映画である。
 ただ、彼女がブレイクしたのはTOTOホーローバスのCM「お魚になったワタシ」で、初代の高沢順子に続く二代目として出演した。CMの演出は大林宣彦、撮影は篠山紀信と、未成熟のお色気方面に長けたスタッフによるものであった。

 デビュー曲「危険な春」は橋本淳=井上忠夫=竜崎孝路のトリオによる作で、ごく普通のアイドル・ポップスだが、「アア、アア」という発声はちょっと南沙織を意識した感もある。ただ、詞には明らかに不良娘のムードが漂っており、この辺はさすが橋本淳。彼女の小悪魔的な魅力は既にデビュー曲から現れていた。

 三東ルシアの魅力は、その豊満なバストと、愛くるしいルックスのギャップにあり、その点を思い切り強調した水着ジャケットを披露したのが、75年7月1日発売の「太陽の季節」。作詞:橋本淳=作曲:井上忠夫という布陣はデビュー作と同じ。特にこの時期、千家和也でなく橋本淳を起用したことで、より「不良性感度」が高まったとも言える。何しろ初めから奪わないでなどと言い出すのだ。森岡賢一郎による、ホーンセクションをベースにしたロックンロール・アレンジで、夏の刹那的な疾走感がよく出た佳曲。三東ルシアの歌い方は技巧以前の新人アイドルレベルなので、何とも拙いが、それが逆にリアルでもあり、まさしく「青い性」の歌唱的体現と言えるかもしれない。

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 この後、ファースト・アルバム『太陽の季節』を8月25日に発売。桜田淳子の「はじめての出来事」や南沙織の「潮風のメロディ」などを真摯に歌っているものの、裏に潜む小悪魔性は隠しようもなく、ことに山口百恵「ひと夏の経験」のカヴァーは意味深すぎて聴く者に深読みをさせる。同傾向の安西マリア「涙の太陽」をカヴァーしていることからも、方向性は明確だ。この年の12月には『週刊プレイボーイ』の企画「オナペット人気投票」でも1位に選ばれるなど、注目度は高かったが、歌手としては76年7月の3作目「街角セピア色」で打ち止め。その後は80年代に日活ロマンポルノ等に出演したが、89年に引退。結婚・離婚を経て、03年には緊縛写真集を出して復帰。06年には熟女歌謡「砂漠のバラ」で歌手としても復帰を果たした。

挑発するリンダ・フォロワーたち

 73年は山本リンダ独走態勢に待ったをかけるように夏木マリや安西マリアのような同傾向のセクシー歌手が数多く登場してきたが、モロにリンダ・フォロワー的な女性歌手は他にもいた。まず宗田まこと。もともとは宗田政美の名で女優として活躍していたが、その出演キャリアを見ても『混血児リカ』シリーズ(72~73年)、『女囚さそり けもの部屋』(73年)、『御用牙 カミソリ半蔵地獄責め』(73年)、『前科おんな 殺し節』(73年)とピンキー・バイオレンス路線まっしぐら。ことに『前科おんな 殺し節』では杉本美樹や池玲子、風間千代子やお色気女優たちに混じってもそのボリューミーでグラマラスな肢体は群を抜いており、日本では数少ない肉食系ピンキー女優としても逸材であった。

 その宗田政美こと宗田まことの歌手デビュー作が「幸せ振り」。まずジャケットが何とも言えない構図で、完成まもない住友ビルをバックに、パンツルックの彼女が妙なポーズでこちらを挑発している(別ジャケもあり)。曲は安井かずみ=都倉俊一のコンビだが、歌い出しから三連のロッカバラード調で、この辺は和田アキ子「天使になれない」あたりの応用。この曲と次の「都会」はまだ普通のやさぐれ歌謡曲だが、凄まじいのは第3弾「夜光虫」で、ジャケットからしてエロ味ムンムンの挑発的なポーズだが、楽曲はさらにその印象を軽く上回る。作詞は山口洋子、作編曲は都倉俊一だが、まさに山本リンダの世界をさらに突き詰めたワイルド路線で、リンダの場合「アラビアンナイト」というコンセプトの縛りがあったため実現しなかった、アフリカン・テイストの超絶ビートをここで実現。出だしからウッヒッハヒ、ウホホッ、ウガガガと男声コーラスとパーカッションが土俗ムードを盛り上げ、これにブラスとギターのディストーションが加わり、リンダ歌謡をさらに過激に押し上げたようなノリノリぶり。宗田まことの歌い方もフェロモン丸出しで、低めの声が次々男を喰っていくかのような勢いがある。キャッチフレーズに「燃えるジャングル・サウンド」と銘打っただけあり、リンダでもできなかったアフリカン・グルーヴ歌謡だが、このソウルフルなヴォーカルもまたリンダにもないもの。和製パム・グリアか、或いは沖山秀子あたりと比べてみたくなるアグレッシブさだが、歌手としてはここで打ち止め。どう考えても山本リンダの成功でこっち路線を狙って「夜光虫」が生まれたのだろうが、それもそのはず、宗田まことはリンダと同じ岡田プロの所属だったのだ。

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 リンダ・フォロワーとしてはRCAの恵美「犯ちは一度だけ」も。こちらもやはり都倉俊一作曲だが、作詞は千家和也で、歌唱法までリンダそっくりに縦に口を開けるあの歌い方。「男なら誰も目がくらむ」とかドスの効いた声で迫りくる。B面「愛の教え子」も同じ作家陣だが、一転してカマトト声で甘い歌い方になるのもリンダと同じか。恵美は台湾出身だが、中国語は喋れないという変わった経歴の在日華僑二世で、蕭恵美の名で72年に「雨、そして別れ」でデビュー。ちょうどこの73~74年は、アジア圏の女性シンガーが次々と日本でデビューを果たした時期でもあり、彼女もその一環と捉えることもできる。3作目の「男性諸君」を出した後、テイチクに移籍し74年に「マジック・ファイヤー」を発表。「ファイヤー!」と異形の雄叫びを加えた疾走感抜群のファンキー・ディスコ歌謡で、ちなみに寺内タケシとブルージーンズをバックにした3人組男性アイドルのザ・サザンクロスと競作扱い。彼女はここで打ち止めとなった。

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 リンダとほぼ同時期デビューの由美かおるまで、73年6月には「炎の女」で肉食方面へ路線変更。由美かおるは73年の映画『同棲時代』でバックヌードのポスターを披露し、同時期の『由美かおるニューアルバム』ではトップを出したLPまで発売しているので、それほどの驚きはなかったが、ダンスが上手く合気道の達人という男前なキャラは、むしろリンダ系肉食女子とはイメージが異なっており、挑発お色気路線はやや違う方向性にも感じた。ジャケットと同様の、大胆なスリットの入った真赤なドレスで歌い踊ったが、同じ発売月でレ・ガールズの先輩金井克子も「他人の関係」をリリースしているのは偶然だろうか。この時期は映画『しなの川』に主演、ドラマ版『日本沈没』のヒロインや、映画『ノストラダムスの大予言』『エスパイ』などにも連続出演しており、レ・ガールズ時代を凌ぐ人気を得ていたが、それが歌手活動でのブレイクに繋がらなかったのは惜しい。

 『週刊プレイボーイ』のグラビアで、真赤なパンティ姿を披露して男たちを刺激した前浜みどりは、デビュー作「煙草のけむり」(五輪真弓とは同名異曲)ではまだおとなしかったが、そのオナペット人気を当て込んで完成した2作目が「五本の指」である。前作に続き両面とも千家和也=井上忠夫のコンビで、東芝の草野浩二ディレクターによると、オナペット的な人気を想定しての「五本の指」なのだそうだ。五本の指を使って男性が何をするかは想像するまでもない。しかも歌いながら指を1本ずつ開いていくフィンガー・アクションまで披露して、シースルーのロングドレスで歌った。楽曲的にはB面のちょっとファンク風な音作りで迫るフェティッシュ歌謡「男の匂い」が佳曲。前浜みどりは本名前浜幸子、沖縄の八重山諸島出身で、エキゾチックな容姿が特徴の美女。浜ゆきの芸名で、71年には「それでいいんです」でキャニオンからデビューを果たしており、日本テレビ『歌まね合戦 スターに挑戦!!』のアシスタントもこの芸名でつとめていた。草野ディレクターの元には、渡辺プロの奥村チヨ担当だったマネージャーが、ナベプロを辞めて独立した際に彼女を連れてきて、オーディションの末にお色気路線で行こうと決めたそうである。他に東芝草野担当では、同様に西田加奈子「泣きまくら」もなかにし礼=筒美京平コンビでリリースしたが、これは不発に終わった。

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 73年発売のテイチク浜夏子「熱い仲」は、奥村チヨ時代のフェロモン歌謡を70年代的にグルーヴ感を加えアップテンポにした、ありそうでなかった楽曲で、妙に高めのキーで甘やかに歌うがゆえに、フェロモン濃度が異様に高い。いじめていいのよ、とかやはり受け身の女性像で、歌い出しの前に「アーッン」と吐息が入り、歌の各所も吐息混じりで「いやはぁーん」「つヴらいわぁーん」といった具合。ここまでのテンポ感で吐息唱法というのは、タメが効かない分、なかなかに歌唱技術が必要だが、浜夏子はかなり上級。作詞はみなみ修、作編曲は演歌系のアレンジャーとして名高い京健輔。浜夏子はプロフィールによると52年生まれとあるのでこの時点で21歳だが、ジャケットを見る限りは30オーバーの熟女ムードむんむんである。

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 泡沫系では73年にキャニオンから「スキャンダル」でデビューした荒木ミミ。阿久悠=中村泰士=高田弘のトリオによるセクシー歌謡で、ロングヘアのエキゾチックな容姿を持つ美女だったが、彼女はこの年、東映映画『青春トルコ日記 処女すべり』に出演しており、映画のイメージと連動した形での歌手デビューだったが、映画自体が上映延期となってしまい、アテが外れた格好となった。彼女はその翌年にも阿久=中村コンビで「ボロボロ天使」をリリースしたが(思えば初期桜田淳子と同じ作家陣!)、ここで打ち止めとなった。

 74年5月リリース、キングの黒沢マヤの「黒い泪/夜の匂い」も、A面はやさぐれムードの歌謡曲だが、B面がため息唱法で迫りくるなかなかの出来。彼女はこれ1枚きり。キャニオンからは加納みどりが千家和也=森田公一コンビによる「大人になっても遅くない」でデビューを飾るが、これはややアイドル寄りの路線で不発。その2年後には渚リールと改名しRCAから「真夏の感触/プレイガールNO1」で再デビューを果たした。渚リールになってからは男性誌のグラビア登場率が格段に増え、セクシーなボディー・ラインを披露する様が男性たちの好奇をそそったが、歌手としては成功しなかった。

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 ハワイ出身のモデルとして大きな人気を獲得したキャシー中島も、この時期にセクシー歌謡に挑戦している。もともと歌手としては70年6月にポリドールからキャッシー名義で「ヴィーナス」のカヴァーでデビューしており、72年にはクラウンから、今度はキャシー中島の名で「白い大地は誰のもの」で本格デビュー。最もお色気路線に接近したのは73年6月の「暑い夏が悪い」で、中原正一の作詞、水上卓也の作編曲。ああ感じるコインクーラー、という歌詞がどうにも可笑しい。74年7月の「渚のチュチュ」も、「あゝダメ力まかせにこわれそうよ」とか「秘密の花園荒らしちゃダメ」とか、完全にそっち系の内容だが(作詞はちあき哲也)、いずれも不発。75年8月にはポリドールに移籍し「おしえて!エルビス/銀座バンバン」を発表するも、水着姿の別ジャケを出すなど、やはり豊満なボディを強調したものが多かった。タレントとしては人気が高く、74年10月からスタートした『プレイガール』の後番組『プレイガールQ』ではそのナイスバディとアクションを存分に発揮して活躍したものの、歌手としてはその勢いに乗れなかった。クラウンのディレクターが凡庸だったのか、楽曲に恵まれなかったのが惜しい。

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 異例のヒットでは、男女デュエットによるお色気歌謡「あまい囁き」がある。もとは72年のイタリアのヒット曲で、ミーナとアルベルト・ルーポのデュエットによるもの。だが、この曲を有名にしたのは、翌年発売になったダリダとアラン・ドロンによるフランス語版。そして、日本語版は同年に中村晃子と細川俊之のデュエットで歌われ、スマッシュ・ヒットを記録する。また中村晃子も60年代に「虹色の湖」をヒットさせた頃は、元気いっぱいの勝気キャラであったが、この「あまい囁き」を契機に、色っぽいイメージが付くようになった。続く74年の「薔薇の囁き」では、ミレーユ・ダルクを意識したヒップが見えそうな黒いドレスで歌っていたという。中村晃子は色っぽさで売ってきた歌手ではないが、ぽってり下唇をツンと突き出した表情に色気を感じる男性層も一定数いたのだと思わせる。
 「あまい囁き」はその後、男女のお色気デュエットの定番化(あるいはネタ化)の道を歩むが、興味深いところでは、金井克子が73年のアルバム『他人の関係』で、アラン・ドロンの吹替で知られる野沢那智とデュエットしている。「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」ほどではないが、「あまい囁き」が日本のお色気歌謡に与えた影響もまた大きかったのだ。

(次回更新は6月15日)

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