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2019.03.25

リットーミュージック

富裕層、若者層、ヤンキー層から形成される「湘南」のイメージ【第四回】

text by リットーミュージック編集部

"「湘南」はイメージである"という大胆な仮説を打ち出した書籍『「湘南」の誕生 音楽とポップ・カルチャーが果たした役割』が発売中だ。そのイメージは実は音楽や文学、映画などのポップ・カルチャーが作ったものである、というのが本書の主張である。その中身を5回に分けて紹介する4回目は松任谷由実と「湘南」。

第四回

松任谷由実の「湘南」

 松任谷由実は隠れたご当地ソングの女王であると思う。1988(昭和63)年に長崎県五島列島の県立奈留高校の愛唄歌として知られる「瞳を閉じて」の歌碑が、奈留高校の庭園に建立されている。また2006(平成18)年にはJR西立川駅の発車ベルに「雨のステイション」が採用され、それに先立つ2002(平成14)年には西立川駅前広場、公園口ポケットパークに歌碑が設置された。2009(平成21)年にいわて花巻空港では彼女の「緑の町に舞い降りて」がイメージソングに決まり、翌年、空港敷地内多目的広場に「ユーミンのりんごの樹」が植樹された。

 もちろん前掲の楽曲以外にも具体的な場所を描いた作品は決して少なくはなく、また具体的には描いていないものの人によってはある場所が想起されるものも多い。例えば前者でいえば「天気雨」(茅ヶ崎)、「灼けたアイドル」(茅ヶ崎)、「ようこそ輝く時間へ」(後楽園遊園地)、「シンデレラエクスプレス」(東京駅)、「よそゆき顔で」(観音崎)、「タワーサイドメモリー」(神戸)、「手のひらの東京タワー」(東京タワー)、「LAUNDRY-GATEの想い出」(立川)、「カンナ8号線」(環状8号線)、「悲しいほどお天気」(玉川上水)、「思い出に間にあいたくて」(新宿駅)、「哀しみのルート16」(国道16号線)、後者では「生まれた街で」(八王子)、「かんらん車」(二子玉川園)、「リフレインが叫んでる」(葉山)、「入江の午後3時」(葉山)、「花紀行」(金沢)、「ビュッフェにて」(金沢)、「情熱に届かない」(二子玉川駅)、「ランチタイムが終わる頃」(日比谷公園)、「COBALT HOUR」(湘南)、「晩夏」(横手)、「埠頭を渡る風」(晴海)、「経る時」(千鳥ヶ淵)、「真冬のサーファー」(銚子)、「りんごのにおいと風の国」(青森)、「わたしのロンサムタウン」(新潟)、「acacia」(能登)などが挙げられる。

 このご当地ソング的アプローチは彼女の独自性のひとつの表象なのかもしれない。場所へのこだわりを楽曲世界の中に昇華させる類まれな表現力といえばいいのだろうか。確かに彼女はリゾート色が強い印象もあったりもするが、実際に描いている世界はあくまで日常の延長線上にあることがわかる。あくまで一般市民の視線を忘れてはいないということでもある。だから長きに渡って多くのファンに支持されてきたのだと思う。

 松任谷由実の音楽に関してはさまざまな評論家や識者がこれまで多くの見解を述べてきた。「1億総中流化の担い手だった都市中間層の欲望を先取りするライフスタイルを提示し、ユーミンは高度大衆消費社会を引っぱってきた」(篠原章「ユーミンの21世紀」『別冊宝島630 音楽誌が書かないJポップ批評16/されど我らがユーミン』に所収/2001年)というように、時代論、世代論などの枠組みで語られることが多いが、依然として現在も彼女の支持層は決して少なくはない。昔からのファン、そして新たなファンを見るにつけ、紛れもなく時代の流れとともに彼女の作品があったということは明確であろう。

 平成最後の紅白歌合戦で桑田佳祐と松任谷由実がラストに絡んだのも、何らかの時代の象徴だったように思えなくもない。

 さて松任谷由実の初期作品には「湘南」が何度か登場する。彼女は八王子の出身だが、その理由は意外とシンプルなものだったらしい。

 それから、立教の男の子とよくパーティやったな。わりと湘南方面に友達がいろいろできて、海とか見に行っていたわけ。クルマ持ってる子とじゃないとつき合わなかったから。その彼、べレGに乗ってたのね。白いベレットGT。「COBALT HOUR」に白のベレGが出てくるのよ。

「あなたは昔SHONAN BOY」って歌詞を書いたんだけど、そのころ、「湘南」って言葉、まだ誰も使ってなかったのよ。 (『ルージュの伝言』松任谷由実著/1984年)

 前掲したいわゆる「ご当地ソング」群であるが、幾つかの作品を挙げて原風景を探っていきたい。まず「天気雨」だ。この曲は1976(昭和51)年にリリースされた4枚目のアルバム『14番目の月』に収録されている。サーフボードを直しに茅ヶ崎の「ゴッデス」へ行った彼を相模線に乗って追いかけて行く女の子を歌ったものである。「ゴッデス」は1964(昭和39)年に鈴木正が創業したサーフィンショップの老舗だ。現在は幾つかの店舗があるが、この歌詞に出てくる「ゴッデス」はかつての茅ヶ崎本店のことである。

 JR茅ヶ崎駅から徒歩だと20分以上は歩くことになる。国道134号線沿線にある「ゴッデス」からは烏帽子岩も遠くに見える。目の前にはいわゆるサザンビーチが広がっている。この界隈にもサーファーの姿が見られる。ただ1976(昭和51)年といえばアメリカ西海岸のライフスタイルを日本に紹介したことでも知られる雑誌『POPEYE』が創刊した年でもある。実際は『宝島』が先行していたのだが、『POPEYE』が商業的に成功したことにより、西海岸のライフスタイルの代名詞になった。

 「湘南」でサーフィンが始まったのは、1960年頃といわれ、外国人がサーフィンをしているのを見た地元の若者たちがそれを真似し始めたところからだ。「湘南」は別荘地や避暑地として利用され、またアメリカ軍の基地があったことなどから、独自のスタイルで発展していった。1970年代に入ると、「湘南」には多くのサーフショップや、サーフボード工場ができて、オリジナルブランドが全国に広がっていくことにより、サーファー文化が全国的に認知されていく。

 つまりこの「天気雨」という楽曲は当時の若者文化の変容を体現したものといえ、高度経済成長下での若者の嗜好性の選択枝が増えていく様が伺えるものになっている。相模線が出てきていることから、おそらく八王子、相模原、町田方面から茅ヶ崎へという移動パターンが描かれている。ちょうど東京都心部から郊外には大学のキャンパス移転も相次ぎ、界隈は大学生が行きかう街の情景になっていたはずだ。

 例えば若者文化の多様化には、「ハマトラ」なども挙げられる。1970年代の末から1980年代の初頭にかけて流行した若い女性のファッションスタイルの名称で、「ヨコハマのトラディショナル」を意味している。「ハマトラ」は清楚で溌剌としたお嬢様的雰囲気のスタイルで、当時の若い女性たちの圧倒的な支持を得て全国的規模の大流行となった。これによって近隣のフェリス女学院大学が知名度を向上させたともいわれている。

 日本における郊外都市論は1960年代までは土木、建築、都市整備・計画の分野において語られることが多かったが、1970年代に入ると文学、社会学、記号学、歴史学がこれを扱うようになる。近年ではまた新たな視点からの議論が再燃している観があるが、戦後日本の「郊外」と呼ばれる社会は、高度経済成長と相関し、都市に付属する空間として作り出された場所であり、日本においての郊外化は1960年代の団地化(1950年代半ばから1970年代前半)と、1980年代のニュータウン化(1970年代後半から現代)の二段階に分けられるだろう。

 1970年代にはまだ相模線の沿線人口が少なく、現在のような運用に至るのは1980年代に入ってからなので、「天気雨」に出てくる相模線はまだローカル鉄道といったイメージの頃である。1991(平成3)年に電化されたのでこの時代にはディーゼル車が走っていた。1976(昭和51)年には車体の色が朱色に塗装された年にあたるが、当時と同様、相模線は今もなお単線である。いわゆる八王子、相模原、町田などの若者にサーフィンがひとつの文化になり始めたことを伺わせており、東京郊外の変容を織り込んだ作品になっているともいえよう。

 前にも触れたように松任谷由実の作品には時代を反映したものが多い。そしてトレンドを作るという力も持っていた。やがて茅ヶ崎はサザンオールスターズの登場によって「ご当地ソング」的なアプローチでいえば「聖地」と化していくが、彼女の作品にも「湘南」は数多く登場する。「湘南」のイメージ形成において、ひとつにはサーフィンやヨットなどのスポーツが大きく効いている。それは「湘南」と海が切っても切れない関係性にあるからだといえる。

 1988(昭和63)年のシングル「リフレインが叫んでる」もいわゆる「湘南」ものである。一般的には葉山から秋谷海岸が舞台だといわれている。彼女は「SURF&SNOW」と題した夏と冬のそれぞれの季節に合わせたリゾートライブを行っていた。冬の苗場でのライブは現在も続いているが、夏は葉山、逗子のマリーナで行われていた。逗子公演は当初毎年実施していたが、アルバム制作のクオリティ追求のため90年代より隔年開催となった。その後、会場であるマリーナ内プール施設の改造によりステージおよび客席が構築できなくなったため、2004(平成16)年のVol.17で終了した。

 彼女は東京の都心部や郊外を描くとともにリゾート地をも描き、時には地方の都市も描いてきた。それも時代の変化を盛り込んだ形で、丁寧に描いてきたといえる。都市の参与観察者として特筆すべき存在のアーティストといえるだろう。研究者やジャーナリストとしてのスタンスを充分に持っているともいえる。おそらく音楽という領域のみならず、上記のような意味でも彼女の楽曲は後世に残っていくに違いない。特に若者文化の変遷を見て行く上で参考になるといった点は見逃せない。紛れもなく彼女の楽曲はその都度のトレンドを創出していったのである。

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