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2018.06.05

サウンド&レコーディング・マガジン

【Talk Session】レゲトン・ブーム再興の裏側|サウンド&レコーディング・マガジン2018年7月号より

Text by Susumu Nakagawa, Photo by Yusuke Kitamura

2017年にリリースされた、ルイス・フォンシとダディー・ヤンキー共作の『デスパシート』。そのミュージック・ビデオの再生回数は51億回を超え、ジャスティン・ビーバーが参加したリミックス・バージョンは全米ビルボード・チャートにて16週連続1位を獲得しビルボード史上最長記録に並んだ。さらにJ.バルヴィン『ミ・ヘンテ feat.ビヨンセ』がスペイン語楽曲として50の国と地域のiTunesで1位獲得など、近年のダンス・ミュージック・シーンではレゲトン/ラテン調の音楽がますます勢いを増している。そして2018年、ヒット・チャートにはポップ・アーティストもこぞってこれらを取り入れた楽曲が増えてきた。そこで、本特集ではレゲトンにフォーカス。ここでは"レゲトンとは?"という諸氏のためにも、国内でレゲトンに詳しいアーティスト/DJたちに、レゲトンの起源をはじめ、第1次ブームから現在に至るまでの歴史について鼎談していただいた。

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AKLO(写真左) 東京生まれメキシコ育ちのラッパー。デビュー作『THE PACKAGE』はiTunes 総合チャート初登場1位を獲得し、2018年にミックス・テープ『MIXTAPAS』を発表した

DJ YUKIJIRUSHI(写真中央) 東京を拠点に活動するDJ/プロデューサー。2018年にはレゲトンに特化したミックスCD『ReENTER The REGGAETON Mixed By DJ YUKIJIRUSHI』をリリースした

DJ HAZIME(写真右) ヒップホップDJ/プロデューサー。毎週土曜日はCLUB HARLEMのレジデントDJを務める。クロージング・ブランド、DOUBLE HARDのディレクターとしてファッション業界にも進出している]

★プエルトリコで発祥しアメリカ人が世界へ広めた★

ーレゲトンはいつごろから始まったのでしょうか?

DJ YUKIJIRUSHI 1980年代後半にプエルトリコで発祥したんだよね。それと別にジャマイカ人がパナマ運河を作るためにパナマ共和国に行ったとき、パナマにレゲエが広まって、そこにスペイン語がミックスしてレゲトンになったという話もある。レゲトン・シーン初のラッパーはヴィコ・C。ヒップホップ・ビートにスペイン語でラップをしていた人で、"レゲトンの父""スペイン語ラップの父"とも言われているね。

DJ HAZIME 俺らが知ってるのはやっぱりダディー・ヤンキーとかテゴ・カルデロンだよね。ヴィコ・Cが活躍したのは主に1990年代中盤。それから2004年に ダディー・ヤンキー「ガソリーナ」(『Barrio Fino』収録) が世界的に大ヒットして第1次レゲトン・ブームを巻き起こすんだけど、その間の約10年はさすがに分からない。当時、インターネットの情報も少ない時代だったしね。

Daddyyankee.jpg▲ダディー・ヤンキー「ガソリーナ」(『Barrio Fino』収録)は2004年にリリースされ、スペイン語楽曲でありながらも全米で大ヒットし、第1次レゲトン・ブームの火付け役となった一枚

DJ YUKIJIRUSHI 俺も1991〜95年辺りはニューヨークに居たけど、実際ラテン系の人は車でサルサとかをガンガンかけてて、レゲトンっぽいのが聴こえてきたってイメージは一切なかったな。AKLO ニューヨークに住むラテン系移民の数が徐々に増えていったのも大きいと思います。

DJ HAZIME もともとレゲトンはレゲエから派生している音楽なんだけど、ビートはヒップホップに近いんだよね。皆ヒップホップにあこがれて始めたから。だから当然ニューヨークではレゲトンが受け入れられやすく、ブームになっていったんだよね。さっきも言ったけど、レゲトンが世界に知られたのは2005年辺り。『ガソリーナ』とN.O.R.E.『Oye Mi Canto feat. ダディー・ヤンキー、ニーナ・スカイ、ビッグ・メイト、ジェム・スター』  、この2曲の大ヒットが大きいかな。ドン・オマール「レゲトン・ラティーノ feat. ファット・ジョー、ノリ、エル・ディー・エー」(『ダ・ヒットマン プレゼンツ〜レゲトン・ラティーノ〜』収録)も第1次ブームでは忘れちゃいけない一曲だね。ブームのきっかけとしては、まず『ガソリーナ』がプエルトリコでバカ売れして、それに興味を持ったアメリカ人が世界に広めたっていう......。

NORE.jpg▲NY出身のプエルトリカン・ラッパーN.O.R.E.の代表作の一つ『Oye Mi Canto feat. ダディー・ヤンキー、ニーナ・スカイ、ビッグ・メイト、ジェム・スター』。「ガソリーナ」と同じく第1次レゲトン・ブームの重要作品である

DJ YUKIJIRUSHI そして第1次ブームのほとんどの楽曲を手掛けているのが、プロデューサー・チームのルーニー・チューンズだった。

DJ HAZIME 結構ヒップホップ・アーティストも参入して来て、R.ケリーとかでさえレゲトンのビートで歌ってた(笑)。

AKLO N.O.R.E.はもともとヒップホップ・サイドの人間だけど、自身のルーツにプエルトリコがかかわっているからか途中からレゲトンばっかりやるようになってましたね。

DJ YUKIJIRUSHI ラテンの血が入ってる人は昔からたくさん居るんだよね、ヒップホップには。そしてヒップホップの人たちがレゲトンを面白がって自分の楽曲のレゲトン・リミックスを乱発したんですよ。そういうブームがあった。その後、2008年くらいになると、アメリカでレゲトンのヒット曲が出ることはあまりなかったんじゃないかな。

(続きはサウンド&レコーディング・マガジン2018年7月号にて!)


サウンド&レコーディング・マガジン 2018年7月号

品種雑誌
仕様B5変形判 / 212ページ
発売日2018.5.25

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