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2017.08.18

ギター・マガジン

アール・チナ・スミス本人が語る ルーツ・ロック・レゲエが生まれた現場|ギター・マガジン2017年9月号より

Text by OKAMAI Photo by Rugged Youth

ジャマイカ三大ギタリストのひとり、アール・チナ・スミス。ラングリン、リン・テイトらの次の世代にあたるチナは、70年代レゲエ/ダブのほとんどのレコーディングに参加しているというファースト・コールだ。さしずめジャマイカのコーネル・デュプリー的な存在とでも言えるだろうか。ギター・マガジン2017年9月号では、そんなジャマイカン・レジェンドのインタビューに成功! 本誌初公開となる彼の自宅にて取材を行ない、70年代のレゲエ重要作などについて語ってもらった。

GM_Chinna1709_2.jpgたくさんの人と出会える"音楽"そのものがルーツだよ。

ーアーネスト・ラングリンやリン・テイトなど、ジャマイカの重要ギタリストはジャズをルーツとしたプレイヤーが多くいますが、あなたの場合はどうですか?

 いいかい、ジャズ・ミュージックというのは"Jah(ラスタファリアンでいう神様)"の音楽だ。ジャパンの"Jah"と一緒で"Jah's"なんだよ。王様の音楽だ。俺は音楽をやっているが、音楽というのはレゲエだけでない。ダンスホール、ロックステディ、スカなどがあるし、もっと幅の広いもので世界中からやってくる自然なものだろう? 俺はそういうジャンルなどかまわず、たくさんの音楽を聴いてきた。例えば日本だったら渡辺貞夫は最高のサックス・プレイヤーであり、最高のアレンジャーだ。俺と彼でアレンジして作ったものはレゲエだよ。それをUCCコーヒーのCM曲としてレコーディングしたんだ(『グッド・タイム・フォー・ラヴ』収録のタイトル曲)。80年代にジミー・クリフと一緒にね。名前は忘れたが、70年代に日本から来たヤツとも日本の曲を作った。俺らで作ったものはレゲエの要素の入ったものになったんだ。音楽はたくさんの人と出会えるシステムを持っている。だからすべてのもの、人、そこでできた音楽ってことで、"音楽そのもの"が俺のルーツだよ。

ーでは、これまで影響を受けたギタリストはどんな人たちですか?

 もちろんたくさんいる。まずはアーネスト・ラングリン、彼こそがマスター・ギタリストだ。そのほかにもたくさんのジャマイカ人ギタリストがいる。リン・テイトやハックス・ブラウンも素晴らしい先生だ。エリック・フレイターもそうだし、何人かは名前をギタリストとして確立されてないけどマルス・グレゴリーも僕の友達であり偉大な先生でもあるよ。歌うこともできて凄いヤツだ。外国のギタリストだとウエス・モンゴメリーやエリック・ゲイルなどもいるね。

ーかなり幅広いプレイヤーから影響を受けているんですね。

 子供の頃からギターが好きだったからね。音楽を聴いて、その音を弾いてるかのように真似していたよ。また、子供の時から歌ってもいた。歌だけも良いけど、ギターを弾きながら歌う方がなおいい。音楽は子供の頃から常にまわりにあって育ったんだ。私にはふたりの父親とふたりの母親がいるんだが、どちらもサウンド・システムをやっていて、グリニッジ・ファームでレコードをプレイしていてね。だから私も、LPや7インチなどを子供の時に毎日聴いていたよ。その時のことをまだ覚えているけど、DJがレコードを回している横で誰かがギターを弾いてたんだ。それがたまらなくカッコよくてね。でも、子供ながらにリスペクト心があったから、女性に軽々しく触れないのと同じように、ギターにも許可がないと触らなかった。"ギターを触ってもいいですか?"って、ちゃんと権限を持っている人に聞かなきゃいけなかったんだ。

ーあなたのソロ・アルバム『Sticky Fingers』(1977年)収録の「Cultural Music」のギター・プレイにはジャズの要素を強く感じます。いかがでしょう?

 あのアルバムを一緒に作ったバニー・リーは最高なプロデューサーで俺は大好きなんだが、70年代にスタジオに呼ばれて行ったら彼はチルってて、すべてのトラックを聴かせてくれたんだ。それでただ俺がギターを弾いただけだよ。

ー自然発生的なものだったんですね。また、さまざまな曲で多用している、2和音や3和音でメロディを歌わせるスタイルは、70年代ソウルの影響も感じさせます。

 いつの日からかギターを大音量で力任せに弾いてるギタリストが多くなって、俺は和音やハーモニーについてより考えるようになった。和音が生み出すハーモニーでいろいろなフレーズを生み出すんだ。AKAIのドラムマシンで作った音でも、心地よいハーモニーのギターが乗ればそれはもう素晴らしい音楽になっていると思う。80年代からギターの出番が減ったような気がするけど、近代では再び重要視されてるよな。

ー当時はどんな機材を使っていたんでしょう?

 一番好きな音は自然でアコースティックな音なんだけども、時代の流れや音に合わせてエフェクターを取り入れてきたよ。70年代にはワウ・ペダルの音がとても斬新だったから、攻撃的でクレイジーなリフを生み出すのに必要だったね。ピーター・トッシュはワウを使うのがうまかった。80年代に日本に行った時は、ローランドの初めてのギター・シンセを使ったりもしたよ。そんな風にして、新しい音には常に取り入れるようにしている。

ーあなたが参加したボブ・マーリーの『ラスタマン・バイブレイション』のレコーディングはどのように行われましたか?

 あれは楽しいレコーディングだったよ。リー・スクラッチ・ペリーのスタジオで少し作ったんだ。白人の女の子がきて、名前がえーと......マータ・パレーズだったかな。彼女のアルバムをボブがプロデュースしていて、僕らがハリーJ・スタジオに行ったんだよ。そこで『ラスタマン・バイブレイション』を制作した。そこではパーティーを毎晩やっていてね。9時に行くと食事が用意されていて、ハーブを吸いながら楽しんで、ただ音楽を演奏していたんだ。だから、ボブがギターを弾いて、俺も好き勝手に演奏しただけさ。スピナーズの曲を聴きながらギターを弾いたりしてね。確か「ラット・レース」はスタジオで一緒に作ったんじゃなかったかな? 俺が「ラット・レース」のイントロを弾いていたら、スクラッチ・ペリーが"レコーディングするぞ!"って言ったんだ。そこでシンプルなメロディを弾いていたら、バニー・ウェイラーが"イントロのイメージがある"と言って、ハモりのメロディを入れてできたのが、あのリディムだ。ボブが歌詞とマッチするから好きだと言っていたのを覚えている。彼とリタが作った歌詞だよ。セッションはいつもそんな感じだったんだ。ボブの曲で言うと、例えば「イーデンバック」は『ラスタマン・バイブレイション』に入れる曲だったけど、そこには入らなかった。それだけじゃない。「ワン・ラブ」も同じセッションでレコーデイングしたし、「3 little birds」も同じ時だった。12曲のアルバムを作ろうとしたら、20曲は作ってそれから選ぶんだ。結局「ワン・ラブ」は『ラスタマン・バイブレイション』には入らなかったけど、『エクソダス』にいれることになったんだ。「3 little birds」と「イーデンバック」もそうだね。

(続きは、ギター・マガジン2017年9月号にて!)

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定価 823(本体762円+税)

品種雑誌
仕様A4変形判 / 258ページ
発売日2017.08.12

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