リットーミュージック

DISC 1

4Ob-La-Di, Ob-La-Da

オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ

1968年7月3日、4日、5日、8日、9日、11日、15日、アビイ・ロード第2スタジオで録音

ジョンが弾いたピアノのイントロにポールが興奮

 ポールがレゲエの前身であるスカのリズムで作った曲。デズモンドとモリーという架空の2人の人生を歌っている。

 ナイジェリア人でヨルバ族出身のコンガ奏者、ジミー・スコットの口癖だった「Ob-La-Di, Ob-La-Da Life goes on, bra」というおまじないのような言い回しをポールが気に入り、これを元にして作曲した。「Ob-La-Di,Ob-La-Da」というのはヨルバの人間ならだれでも知っている「Life goes on(人生は続く)」という意味だ。ジミー・スコット自身もレコーディングに参加してコンガを演奏している。

 とにかく楽しければいい、という感じの曲でジョンやジョージの掛け声なども入っている。その歌の2分15秒くらいのところの「♪ A home sweet home」の後ろでジョンが「エイチ・オー・エム・イー」と「HOME」のスペルを言っている。

 記録によると、このレコーディングは1968 年の7月に7日間という長い時間をかけたことになっていたが、最初のパターンとリリース・バージョンの間に決定的な違いは見られなかったという。リンゴは昼間の3時から夜中の1時まで、ろくな休憩も取らずにプレイして、次の日も、またその次の日も同じことを繰り返した。ミックスは10通りも作るほど迷っていた。エンジニアのジェフ・エメリックによると、完璧主義のポールは、自分のやりたいジャマイカ風のサウンドをバンドが再現できなかったことに不満を持っていた。自分でもリズムをどう組み立てれば良いのかがわからなくなっていた。

 ジョンはこの曲を「ババア向けのクソ」だと、ののしっているほど嫌いだった。ポールはそういう態度のジョンの、それまでの振る舞いにもイラついていた。数日後、もう一回この曲をやり直したいと言ったとき、当然のようにジョンは怒り狂ってスタジオから飛び出し、その後をヨーコがついていった。

 今日はもうこれで終わりだろう、と誰もが思っていた。しかし、その数時間後、明らかにさっきとは違う精神状態でスタジオに戻って来た。ピアノに向かったジョンが、力まかせに弾いたのが、あの有名な「♪チャン・チャカ・チャッチャ・チャッチャ・チャッチャ」の印象的なイントロのフレーズだった。興奮したポールはジョンの前に立ちはだかり、きっぱりと「君のやり方でやってみよう」と言った。

 とてもそんな険悪な雰囲気の中で録られたとは思えないほど、楽しそうな曲である。実際ジョンとポールとジョージの3人が1本のマイクを囲みバッキング・ボーカルを録るためにヘッドフォンをしたとたんに、過去数週間のいさかいはなんだったのか、というほど一時棚上げになってしまうのだという。バンドを始めた頃の悪ガキに戻り、おどけたり冗談を言い合ったりしていた。ところがヘッドフォンを外したとたん、またお互いを憎み始めたという。長年一緒にやってきたバンドでお互いにプロフェショナルなミュージシャンとして認め合っていたからだろう。

 最後の歌詞でポールがデズモンドとモリーを間違えて歌ってしまったことにより男のデズモンドが「彼の可愛い顔に化粧をして、夜になるとバンドで歌っている」というようになってしまったが、そのままのほうが面白いとあえて直さなかった。

 生ギターのコード・カッティングはシンプルにウラを強調したカッティング。ポールはアコースティック・ギターをディストーションさせた音でベースと同じフレーズの1オクターブ上の音を、オーバー・ダビングしている。ポールはシングル化を希望していたが、ジョンとジョージは陳腐だと言って反対した。代わりにマーマレイドとベッド・ロックスがカバー・バージョンを出し、マーマレイドは全英チャートの首位を獲得した。

 しかしポールの音楽に対する間口の広さには驚かされる。このレコーディングでの雰囲気の悪さや、メンバー間のいがみ合いなどに堪えられなくなったジェフ・エメリックは、ビートルズの担当をやめると宣言して、ビートルズが引き止めるのにも耳を貸さず、そしてアルバムのレコーディング途中にもかかわらず出て行ってしまった。

<使用楽器>
ジョン:ピアノ、コーラス
ポール:リッケンバッカー4001S、マーティンD-28、ボイス・パーカッション、ハンド・クラップ、ドラムス
ジョージ:ギブソンJ-160E、コーラス、ハンド・クラップ
リンゴ:ドラムス、ボンゴ、マラカス、ハンド・クラップ
ジミー・スコット:コンガ
サックス:ジェイムズ・グレイ、レックス・モリス、シリル・リューベン