リットーミュージック

幻のコラム「バークリー・コネクション」
トモ藤田氏がギター・マガジン1996年9月号から12月号にかけて連載していたコラム

『演奏能力開発エクササイズ』の第1弾を発表する約2年前、トモ藤田氏がギター・マガジン1996年9月号から12月号にかけて連載していたコラム「Tomo Fujitaのバークリー・コネクション」全4回分を再掲載しました。

[第1回] バークリー音楽院の生徒だった頃、ボストン中の腕利きが集まるコンテストに出場した僕は・・・・・・

Hello Everyone。初めまして。ギタリストのTomo Fujitaです。僕は今、ボストンのバークリー音楽院でギターの講師をしています。僕はもともと京都出身なのですが、ボストンへ来てからもう10年になるので、今ではすっかりここが自分のホームタウンのようです。

読者のみなさんの中にもバークリーへ行きたいと思っている人や、アメリカでの音楽活動に興味を持っている人がいるでしょう。この欄では、僕がアメリカへ来てからバークリーの学生として、また講師として体験してきたいろいろなことを書いていこうと思います。それによって皆さんのことをヘルプできたり、インスパイアできたら嬉しいです。今回はまずボストンの有名なギター・コンテストに出場した時のことを書いてみましょう。

その“ボストン・ギター・コンペティション”は、ボストン中から腕に自信のあるギタリストたちが集まり、チョップスを競うコンテストです。1989年に始まり、その年はジョン・フィンというバークリーの先生が2位になったことで話題を呼びました。ジョンはボストンの有名なプログレッシブ・インストゥルメンタル・ロックのバンド“ジョン・フィン・グループ”で活躍している人物で、バークリーではアンディ・ティモンズ、スティーブ・モーズ、ジョン・ペトルーシなどを呼んでクリニックやジャムを行うなど、学校の中でもロックを教える先生としてすごく人気がありました。

その当時、僕は彼のバンドのドラマーと一緒に別のバンドでプレイしていたのですが、90年のある日、リハーサル最中にたまたまコンテストの話が出て、その時にドラマーから“ジョンがまた出るんだって。Tomo、お前もトライしてみたら”と薦められました。僕はもちろんコンテストに出た経験もなく、あまり自信もなかったのですが、とりあえず試しにやってみようとテープを送ったところ、予選に出られるという返事が来ました。嬉しかったのですが、同時に“やばい、ほんまにやらなあかん”と少しあせり気味だったのも事実です。

それから練習に入ったのですが、これが意外と大変でした。ルールがなかなか厳しかったのです。まずギター1本でさまざまなスタイルを取り入れて弾かなくてはならない。また演奏の能力だけでなく、パフォーマンスシップも重要で、どれだけ聴衆をエンターテインするかということも審査の一部になっていました(なかなかアメリカしてますな~)。それから時間制限もあり、2分30秒一本勝負という、ほとんどボクシングのような状態です。しかもプラス・マイナス1秒ごとに減点で、15秒を超えると失格(まるでオリンピックみたいや!)。

ちなみに僕の曲は、ファンクのグルーブで始まり、スラップ・ギター、ジャズのウォーキング・ベースとコード、ジャズ・ギター・ソロ、最後はブルース・ロックで締めくくるというものでした。今までやってきたこと、できることをすべてメドレーのようにつなげて、なおかつ楽しそうにやるという無茶な注文です。これはチャレンジでした。毎日時計に合わせて練習しました。

予選では日本人は僕ひとりで、それがプレイすること以上に僕をナーバスにさせました。でもプレッシャーにも負けず、決勝へ進むことができました。

翌年、僕はもう1回だけ、とコンテストに出場。前回同様予選を通過して、ラッキーにも決勝へ進みました。この時は、よくもまあこれだけうまいギタリストが集まったものだと驚き、特にヘヴィメタのジョー・スタンプを見た時は、その指の速さに圧倒されました。でも僕は根性で頑張り、とうとうこの年のナンバーワンに! ほとんど信じられなかったのですが、日本人でも頑張れば認めてもらえるということにすごく感激しました。

それからの僕は、学校の有名なコンサートに出たり、卒業式のコンサートでフィル・コリンズと共演したりし、卒業後もプレイすることと人に教えることに情熱を傾けてきました。もちろん他にも数え切れないほどのギグを経験しましたが、スペース上書けないのが残念です。とにかく僕は、チャレンジすることの大切さと、自分を信じてやれば不可能も可能になるということを、このコンテストを通じて知ったような気がします。そして僕は今、自己のバンドTomo Fujita & Blue FunkのCD作りに力を入れています。

ギター・マガジン 1996年9月号より

[第2回] 常に時流に対応しながら変化を続けてきた我がバークリー音楽院、50年の歴史

How are you doing? みんな元気でやっていますか? 先月号からこのコラムを担当させていただいているTomo Fujitaです。先月は初回ということで、自己紹介代わりに、自分のアメリカでの体験談などを書きましたが、今月は僕が講師を務めるバークリー音楽院について書こうと思います。

ちょうど1年くらい前に、バークリー音楽院50周年を記念して、『The First 50 Years』という本が出版されました。これはバークリーの歴史を多くの写真や文とともにまとめたもので、さらに付録として生徒らによるパフォーマンスをまとめたCDもついています。その中のパーソネルには、渡辺貞夫やタイガー大越、ジョン・スコフィールドなど錚々たる名前も見受けられます。

バークリー音楽院というと、どうしてもジャズ・スクールというイメージを強く持たれていると思いますが、実際はそうでもありません。もちろんトラディッショナルなジャズが消えてしまったわけではありませんが、現在ではロックやポップス、R&Bといった、昔では考えられないコースなども作られていますし、僕のようにジャズだけでなくファンクやブルースなど他ジャンルを教える講師も増えています。これはつまり、昔ジャズが当時のポピュラー・ミュージックだったように、今現在流行っている音楽に応じて、学校側がフレキシブルにカリキュラムを変化させているということです。また、最近ではレコーディング技術の発達に伴って、学校側がコンピュータやMIDIを導入するなど、テクノロジー対策もとられています。こういった時代への対応という側面は、バークリーが開校当初から有していた傾向のようで、そのあたりの歴史を少々探ってみました。

バークリー音楽院は、45年にローレンス・バークというピアニストが3人の生徒に理論やアレンジを教えることからスタートします。そして50年に、正式にBerklee School Of Musicと呼ばれるようになるのですが、その名は、ローレンスの息子であるLee Berkの名を逆さにしたことに由来しているそうです。当時のバークリー音楽院はジャズ・スクールとして知られ、その後多くの優れたミュージシャンを育てると同時に、そのミュージシャンに応じた素晴らしいカリキュラムを作り上げていくわけです。

一方62年、ジャック・ピーターソンによって、バークリー音楽院にギター科が作られます。その頃の生徒はまだ9人だったそうですが、ともかく主楽器としてギターを扱った授業を行ったのはバークリーが初めてだったようです。この講義は、のちに65年になってウィリアム・リービットに受け継がれますが、このウィリアムがまた凄い人でした。現在のように正式な教則本やビデオなどのない時代に、彼はバークリー出版から『モダン・メソッド・フォー・ギター』、『メロディック・リズム・フォー・ギター』など10冊の本を出版し、さらに335曲ものギター・アンサンブルのアレンジ曲を残しています。特に、初の正式なギター・メソッドを作り上げたことは非常に有名で、この一部は現在でもバークリーのギター科で実際に使われているほどです。

そして時は流れて74年、ついにバークリーにロック系の授業が誕生します。これがロブ・ローズによって開かれた“ジャズ・ロック・アンサンブル”という授業。本来ロブはこのクラスを“バークリー・ロック・アンサンブル”と呼びたかったそうですが、やはり当時の学校の性格上、“ジャズ”という言葉から離れることができなかったようで、このあたり非常に興味深いものがあります。ちなみに現在では“カントリー・アンサンブル”や“シンガー・ショーケース”といったロック系のコースも多く作られており、そのせいか、ロックしかやらない生徒もかなり見受けられます。

そして85年には“バークリー・サマー・プログラム”という5週間の集中コース(夏期講習のようなもの)も作られます。現在では僕も毎年このコースで授業を担当していますが、それ以外に特別講師として、プロ・ギタリストを招いたりもします。ちなみに今年の夏は全部で226人の生徒が参加しましたが、日本から来た人もけっこういたようです。これは夏だけのコースなので、日本の皆さんも自分の力を試してみるにはすごくいいと思います。ぜひ参加してみて下さい。

現在バークリー音楽院には、総生徒数約2,800人(ギター科では約900人)いますが、そのうち40%は日本を含む諸外国からの留学生です。また、ギター科には45人の講師がいて、暇な時には生徒と先生がジャムったりするなど、毎日楽しく過ごしています。学校以外でも、ボストンは音楽の街で、ミュージシャンはたくさんいるし、ライブ・ハウスも至るところにあるし、音楽を大いに満喫できる都市です。このコラムを読んで少しでも興味を持たれた方は、ぜひ一度訪れてみてはいかがですか。それでは、また来月。

ギター・マガジン 1996年10月号より

[第3回] ファンク、ブルース、ロック、ジャズなど、幅広いスタイルをカバーする授業の内容とは!?

I have a surprise for you! ついにTomo Fujita & Blue FunkのCDが完成しました。ぜひ聴きたいという方は、連絡を下さい。住所はT.F.Production P.O Box 468 Dedham Ma 02026です。このコラムの感想なども一緒に送ってくれると嬉しいです。

今月は僕が行っている授業内容などについて書いてみたいと思います。僕はこの学校でギター科を中心に教鞭をとっています。基本的には毎学期、14~18人の生徒にプライベート・レッスン形式で教えています。レベルとスタイルは生徒によってさまざまですが、僕の場合はファンク、ジャズ、ブルース、フュージョンといったところが中心です。また、最近では僕本来のスタイルのように、いくつかのスタイルを混ぜたものをやろうとする生徒も増えてきました。

プライベート・レッスン以外にも、僕は1回1時間、週2回の授業を2種類担当しています。ひとつは“Guitar Performance Skills”で、これはおもに、与えられたコードとメロディをプレイすることと、パフォーマンスに必要な基本テクニックや、指板上のハーモニーなどについて学んでいくものです。もうひとつは“Guitar Style Skills Labs”で、あるひとつのスタイル(ジャンル)を選び、それについて詳しく勉強していくもの。僕はその中のファンク、ブルース、ロックのクラスを担当しています。具体的には、そのスタイルを持つ重要なアーティストの歴史や、その人がどの方面から影響を受けたかといったことを教えます。サウンドに関しては、僕の場合、そのスタイルの重要と思われる演奏を編集した“Source Tape”なるものを作って、学校のある場所に行けば、生徒が誰でもテープをダビングしてもらえるようになっています。

例えばブルースのテープならば、90分テープ2本にわたって、42人の重要アーティストの有名な曲を収録してあります。しかも、20年代から年代順に入れてありますので、どのようにブルースが発展してきたかを簡単に把握することができるのです。こうした授業によって、例えばスティーヴィー・レイ・ヴォーンのスタイルが、どのような人に影響を受けて形成されていったかなどということが理解しやすくなります。何よりも大切なことは、どんなに名人と呼ばれる人でも、最初はマネから始めたのであって、それが年月とともに自分のものになり、やがて独自のスタイルを築き上げるのだということです。一方、ファンクの授業でも“Source Tape”を用意しています。こちらには有名アーティストの演奏とともに、僕自身のデモンストレーションも収録して、グルーブの出し方からレイドバック・フィーリングのつかみ方まで勉強できるようになっています。

このテープはただ聴いてフレーズをコピーしてもらうだけでなく、ファンクやブルース独自の“言葉”に慣れてもらうという意味でも重要です。そして授業の方で重要アルバムなどを紹介します。

さらに僕は、アンサンブルの授業も持っています。それは“ファンク・アンサンブル”、“ブルース・アンサンブル”“スティーヴィー・レイ・ヴォーン・アンサンブル”という3つです。普通、バークリーのアンサンブル授業では、譜面を読むレベルが重要視されるのですが、僕の授業ではそれ以上に実際の演奏能力を大切にしている点が、他の先生と違うようです。具体的にはバンドのグルーブ感、ソロの盛り上げ方、フィーリングを込めたプレイ、楽器間のコミュニケーション法などに重点を置きます。従って、授業ではほとんど譜面を使わず、代わりに“Source Tape”を使います。この方が、グルーブを大切にしたり、フィーリングを重視する音楽にとって、ナチュラルな学習ができると思うからです。もちろん、譜面を読むことも大切ですが、この授業ではそれ以上に耳を使って演奏することに焦点を当てます。

要するに、僕は楽器を自分の身体の一部にすることによって、他のミュージシャンと音楽を通じてコミュニケイトできるようになることが最終的なゴールだと思うのです。ソロをとるにしても、ただコードに合わせたスケールを弾くのではなく、コール&レスポンスのように、ひとつのフレーズのあとに答えるフレーズが続くように弾くことが重要だと感じています。このようなコンセプトを言葉で表現することは非常に難しいのですが、だからこそ僕は音楽で表現することに興味を持っているのです。

そういえば、今年の夏もこのようなテーマのクリニックをいろんな学校で行ってきました。プレイを交えて僕のスタイルとアプローチを話すことができて、すごく楽しかったです。最後に、予定ですが、来年の夏には僕のバンドを日本に連れていくつもりなのでぜひ皆さんとお会いしたいと思います。僕はまだ日本語で教えたことがないから、どうなるか楽しみです。それではまた来月。バーイ!

ギター・マガジン 1996年11月号より

[第4回] これで君も音楽留学できる!? 最低限覚えておくべき海外留学の心得

※編注:文中に出てくる電話番号・住所は1996年の時点のものであるため、ここでは伏せ字(xxxxx)にしてあります。

月日が経つのは本当に早いもので、私が担当させていただいたこのコラムも、この4回目をもって最終回を迎えることになりました。僕自身、仕事という以上に楽しく書かせてもらいましたし、ずっと読んでいてくれた皆さんにはお礼の言葉もありません。そこで今回は、今後海外へ留学を希望している人たちのために、僕自身の経験も含めた、留学のアドバイス的な話をしてこのコラムを締めくくりたいと思います。

僕の場合は、知り合いを通じて入学手続きや奨学金制度といった情報を得て、87年にバークリー音楽院に入学しました。アメリカに来て一番苦労したのは、やはり“言葉”だったのを覚えています。僕は日本にいた頃、しばらく英会話学校に通ったりして英語の勉強をしてはいたのですが、今から考えてみると、その時は一度日本語で考えてから英語を理解していたのであって、英語で英語を理解するまでにはなってなかったようです。だから最初のうちは発音もうまくできなくて、相手に自分の考えが伝わらなかったり、人の会話についていけなかったり、学校の授業の内容もすべてを理解するというわけにはいきませんでした。

そうこうしているうちに、僕は地元のアメリカ人バンドに加入することになったのです。最初のうちこそ、バンドのミーティングなどで、僕だけが何について話し合われているかすら理解できず、何度も聞き返さなければなりませんでしたが、次第に英語で物事を考えられるようになってくると、内容も聞き取れるようになりました。わからないフレーズを人に聞き返したり、英英辞典で調べたり・・・。こうして英語が理解できるようになると、演奏面でもスムーズにことが運ぶようになった気がします。もし、あのまま英語がわからず終いだったら、今のようにアメリカでギグをしたり、こうしてバークリーで音楽を教えるチャンスも逃していたことでしょう。だから、これから留学したいと考えてる人がいたら、とにかく言葉だけはある程度勉強しておいた方がいいと思いますよ。

次に演奏面ですが、こちらはあらかじめ、しっかりした先生に正式なレッスンを2~3年受けておくことをお薦めします。まずは楽器に対する基礎知識や、練習方法、自分の目標などをはっきりさせておくことが大切です。できれば、バークリー音楽院などから出版している本などを通じて、細かいテクニックや楽譜の読み方を学んでおくこともいいでしょう。さらには音楽理論、イヤー・トレーニングも必要です。例えば、スケールやコードの組み立て方、メジャー3rdとマイナー3rdの聴き分けなど、勉強しなければならないことはたくさんあると思ってください。

基本的にどの学校でも、留学するには母国の高校を卒業していることが前提になりますが、その他に学校の成績なども重要な選考の対象になります。とにかく何にしても準備しておくに越したことはありませんので、できるだけいろんな勉強をしておいた方がいいでしょう。

本当に留学を考えている人は、とりあえずバークリーのオフィスに連絡をとって、アプリケーション・フォームを送ってもらって下さい。連絡先は(xxx)xxx-xxxxで、住所はxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx,U.S.Aです。その際に気をつけることとしては、時差を考えて連絡することと、何でもわからないことは、どんなに些細なことでも質問することです。それから担当者の名前を覚えておくことも忘れずに。

さらに実際に留学が決まったとしたら、入学する2~3ヶ月前から現地に来て、実際に英語に慣れておくことを薦めます。もし可能ならば、その準備期間の間にギター・スクールなどに通っておくのもいいかもしれません。他にも注意すべきことはたくさんあるのですが、スペースの都合もありますので、このあたりで。もしこちらに来て何か困ったことが起きましたら、ぜひ僕のオフィスに連絡を下さい。電話番号は(xxx)xxx-xxxxです。少しでも皆さんの力になれると嬉しいのですが・・・。

最後に、留学するしないに関わらず、アメリカ人とコミュニケーションする時のコツとして、自分の意見をはっきり主張することを覚えておいてください。日本人は本当にマナーの素晴らしい人種ではありますが、時としてそれが欠点になることもあります。何も言わずに相手を立てるという、日本人にとっては賞賛されるべき行為が、この人はあまり興味がないと思われてしまう危険性もあるわけです。どんなことでもいいですから、思ったことはすぐに主張するようにしましょう。とにかく、何事もチャレンジです。恥を恐れないで、精一杯人生を楽しみましょう。“やればできる”ということを忘れないで下さい。それでは皆さん、また会える日まで。Good luck,all of you!

ギター・マガジン 1996年12月号より

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