村井邦彦のLA日記

僕は1992年にLAに引っ越してきたので、もう18年以上もここで暮らしていることになる。まさかこんなに長くいることになるとは夢にも思っていなかった。
LAを初めて訪れたのは1970年のことで、当時のコロンビア映画の音楽出版部門であったスクリーン・ジェムズ・コロンビアで社長を務めていたレスター・シルと会うのが目的だった。コロンビア映画がソニーに買収される20年ほど前のことだ。
レスターはレコード・プロデューサー出身の経営者で、LAでクリエイティブ部門を担当し、ニューヨーク（NY）では副社長のアーウィン・ロビンソンが管理部門を担当していた。レスターは10年ほど前に亡くなったが、アーウィンは少し前まで全米音楽出版社協会の会長を務めていて健在である。昨年メールを送ったらエジプトから返信があった。引退して世界を漫遊中とのことだった。 僕の作ったアルファミュージックはこのスクリーン・ジェムズのサブ・パブリッシャー（下請け出版社）になった。それで僕は以前からよく行っていたパリやロンドンに加え、NYとLAに頻繁に通うようになった。
パリやロンドン、そしてNYも、空港から高速を走って市内に入るとパリはパリ、ロンドンはロンドン、NYはNYらしい街があり、エッフェル塔やハイドパーク、クライスラービルなどの姿がその街に来たのだと実感させてくれる。しかし、LAはフリーウェイがえんえんと続く平坦な土地で、どこが中心かわからない。
初めてLAに着いたのは春の夜だった。レスターが空港に迎えのリムジンを出してくれていた。制服制帽の運転手の運転するでっかい車だった。リムジンの窓に貼ってあるサングラスのような黒いフィルムのせいもあって、初めてのLAの夜景はよく見えなかった。ただ、松だか杉だか日本で嗅いだことのあるいい匂いがしたことを憶えている。それでLAはいいところだなと思った。
ところが、連れて行かれたホテルの部屋で目を覚ましてカーテンを開けたら、一面砂漠のような住宅街が目に入ってショックを受けた。すぐにレスターに電話して、もっと木の生えているホテルに替えてくれと頼んだところ、ビバリーヒルズホテルの部屋を用意してくれた。今、振り返ってみれば、最初のホテルはユニバーサルシティーのシェラトンホテルだったと思う。今なら当たり前のLA郊外の風景だが、雨が多く、緑豊かな日本で生まれ育った僕には見慣れない砂漠的な風景がショックだったのだろう。
ビバリーヒルズ一帯はうまく植樹してあり、僕は1910年代からあるピンクとグリーンに塗られたビバリーヒルズホテルがすっかり気に入ってしまった。このホテルの写真はイーグルスの『ホテル・カリフォルニア』のジャケットに使われているので、ご存じの方も多いだろう。
レスターは気さくな人柄で、僕をフランク・シナトラのお気に入りだったハリウッドのイタリアンレストランやボクシングの試合に連れていってくれた。LAに住んでいる人たちとの交流が始まった。
（2011年1月）

『The Great Gatsby』が新たに映画化され、今年の暮れぐらいには公開されるらしい。スコット・フィッツジェラルドの1925年の原作で、1974年にジャック・クレイトン監督、ロバート・レッドフォードとミア・ファローの主演、音楽ネルソン・リドル、脚本フランシス・フォード・コッポラで映画化された。邦題は『華麗なるギャツビー』だった。これが2度目の映画化で、3度目は『ムーランルージュ』（2001年）を監督したバズ・ラーマンが作るらしいが、どんな作品になるのか楽しみだ。
1974年に制作された『華麗なるギャツビー』のレーザーディスクがあるのを思い出し、引っ張り出してきて鑑賞した。20年前に東京から引っ越してきた時に気に入った映画のレーザーディスクを100枚ほど持ってきた。再生機器はパイオニアのもので、いつ壊れるかと心配していたがいまだに健在だ。誇るべきかな日本製品である。
時代は1920年代の初め。場所はニューヨークの郊外の海辺、ロングアイランドとマンハッタン。季節は6月の夏至になる寸前から夏の終わりまで。主人公ギャツビーは中西部の貧しい家に生まれ、第一次世界大戦で軍功を上げオックスフォード大学に一時いたこともある。
戦後、無一文で帰国したが、酒の密売や賭博のような危ない仕事で大儲けしたのだろうか、ロングアイランドの海辺の大邸宅に住んでいる。その大邸宅と海峡を挟んだ正面の海辺に住むのがギャツビーの出征前の恋人だったデイジー。富豪の娘で「金持ちの娘は貧乏な人とは結婚しないの」という台詞（せりふ）が有名だ。それでデイジーは金持ちでいささか乱暴でポロ競技が好きなトムと結婚している。トムは貧しいガレージ経営者のウィルソンの妻と付き合っていて、時折マンハッタンに持っているアパートで密会している。デイジーは夫に女がいることに気が付いている。最後に紹介するのがニックで、ニックは家柄こそ良いがそこそこの財産しかない、デイジーのまたいとこで、トムとはイエール大学で同級だった。ギャツビーの大邸宅の隣に小さな家を借りていて、そこからマンハッタンの証券会社に通勤するサラリーマン生活を送っている。ニックも第一次世界大戦に従軍経験があり、ギャツビーとの付き合いが始まる。 ギャツビーの邸宅では毎週末、数百人規模の大パーティーが開かれる。ストリングスセクション付きのジャズ・オーケストラ、シャンパン、チャールストン・ダンス。朝まで乱痴気騒ぎが続く。ニックはギャツビーに誘われてパーティーに出かける。そこでデイジーとの仲をとりもってニック宅でアフタヌーンティーを催すことを依頼される。再会したギャツビーとデイジーは……。その先は映画ができてからの楽しみにとっておきましょう。待ちきれない人は新潮社の文庫本を読んでください。僕の持っているのは野崎孝翻訳のものだが、最近は村上春樹の翻訳があるらしい。ぜひ読んでみたいものだ。
この小説が書かれた1920年代は「狂騒の20年代（The Roaring Twenties）」と呼ばれる。経済繁栄で始まり1929年の株式市場崩壊にいたるまでのなんとも派手な時代だった。ジャズエイジとも呼ばれ、僕のようなジャズ好きにとっては心の故郷のような時代だ。その頃に書かれたコール・ポーターやジョージ・ガーシュインの流行歌やミュージカル曲は今も歌い継がれている。この時代のことを考えるとすぐ連想されるものごとを列挙すると、マンハッタンにそびえるクライスラービルに代表されるアール・デコ様式の建築（完成は30年）、ココ・シャネルが作った軽快な女性服、これはチャールストン・ダンスを踊ったり、ゴルフやテニスをしたりする活動的な新しい女性たちのために作られたものだ。レコード、ラジオ、トーキー映画の普及。禁酒法にもかかわらず繁盛するもぐり酒場。これらのことはすべて『The Great Gatsby』に登場する。
日本でも第一次世界大戦で好景気となり、議会制民主主義が一瞬根づくように思われた大正デモクラシーの時代があった。
モボとかモガがしゃれた服を着て銀座通りを歩いた、短かったけれどいい時代があったのだが、1921年の原敬総理大臣の暗殺事件や1923年の関東大震災で暗転していく。
今回『ギャツビー』を観てその時代の暗部を再認識した。極端な貧富の差、人種差別、男女差別などだが、身につまされるのが黄禍論（Yellow Peril）の信奉者のトムが人種差別的な発言を繰り返す場面だ。トムのような黄禍論者をハースト系のイエロージャーナリズムが煽り、それで実際に1924年には排日移民法が成立し、すでに土地の所有を禁止されていたカリフォルニアの日系人は立ち往生する。そしてそのことが後の日米の戦争の遠因の一つになっているからだ。
スコット・フィッツジェラルドはその日米戦争が始まる前年の1940年に失意のなか、酒の飲みすぎが原因の心臓麻庫によってハリウッドで亡くなった。
（2012年8月）

ここのところLAにしては寒い冬が続いている。そして雨が何度も降った。集中豪雨からしとしと雨までいろいろで、空気のなかのあらゆる種類の塵（ちり）を水で流してしまった。一日おきぐらいに強い風が吹いていて、風のある日に裏庭に立つとシューという笛のような音が聞こえてくる。クリスマス休みで、工場や車が出すCO2が減ってスモッグは最小限だが、わずかなスモッグもこの風ではるか遠くの海や砂漠に吹き飛ばされてしまう。
そういうわけで、今日のLAの空気はとてつもなく透きとおっている。サンタモニカに近いソーテル通りから買い物の帰りにオリンピック通りを東に向かって車を運転する途中、高台からハリウッドサインのある山が見えてきた。いつも冬になって空気が澄むと見える山なのだが、その上に八ヶ岳級の大きな山々が雪を頂に置いてそびえているのがくっきりと見えた。パームスプリングス付近の普段は見えない山々で200キロほど先にある。それでこれはすごいことになったと思って山道を登り、家を通り越して家の裏山の頂上まで行ってLA盆地の東西を見渡した。
正面に見える空港からその向こう側のパロスベルデス半島や、その右に見える海とカタリナ島、今まで見えたことのないサンタバーバラの沖にあるチャンネル諸島まで、写真のようにくっきりと見ることができた。東京にいても正月頃の寒い朝、首都高速を東名のほうへ走っていくと、用賀の手前あたりで真っ白な富士山が隣の家の屋根みたいにくっきり見えることがあるが、富士山までざっと130キロぐらいの距離だろうからその2倍ほどの距離にあるものがスーパーリアリズムの絵画のように見えたのだ。めったにない天然自然からの贈り物は、僕を幸福な気持ちにしてくれた。
ソーテル通りは西ロサンゼルスの日本人街で、日本人向けのスーパーマーケットやレストランなどが立ち並び、日本人のみならずアメリカ人、中国人、韓国人が寿司やラーメンを食べにくる流行の街だ。その昔に日本人の庭師が住み着いて、今でも苗木を売るナーサリーと呼ばれる広い敷地を持った店がいくつか残っている。しかしそういうナーサリーもアパート建築が増えてだんだん少なくなっていくので寂しいのだが、ちょっと裏通りを行くと盆栽のようにきれいに松を刈り込んでいる、明らかに日系人が住んでいると思われる家が多くあり、日本を感じることができる。
スーパーマーケットの2階に旭屋書店があり、そこで村上春樹が新しく翻訳したレイモンド・チャンドラーの『大いなる眠り』（39年）を買った。村上さんはチャンドラーが大好きのようで、いかにも楽しげに、丁寧に翻訳している。クリスマス休みでもあるし、ゆっくりと時間をかけて一行一行味わいながら読むことにした。
主人公の私立探偵フィリップ・マーロウは車で行ったり来たり、追跡したりされたりするので、LAの地名がたくさん出てくるのだが、一部は実在し、一部は存在しない。しかし存在しない地名であっても、実在する名前を混ぜたり、連想される言葉を使ったりしているので、マーロウの住むアパートの場所や、依頼人の邸宅の所在地がだいたい想像できる。
村上さんはスコット・フィッツジェラルドが晩年住んだ「アラーの園」というサンセット通りにあったアパートメント・ホテルを訪ねているほど凝り性の人だから、翻訳の際はLAの地図を見ながらイメージを膨らませていたに違いない。依頼人の老将軍の家はどうも僕の家のそばにあるドへニー邸をモデルにしているようで、この広大な屋敷は現在LAの市立公園になっていて誰でも見にいける。
ドへニー家は石油で財をなした一族だ。マーロウのアパートは、ハリウッドの繁華街の裏山にあるマジックキャッスルの麓のフランクリン通りにあると思われる。

1930年代のLAはどんな町だったのだろうか。その頃の写真をLAの歴史写真集の本で見たことがある。例えば昔A&Mレコードがあったラブレア通りなんかは道に面して建物が建っているが、その裏は何もないただの空き地で草がぼうぼうと生えていた。
『大いなる眠り』で失踪するアイルランド系の男は、禁酒法時代に危ない仕事をしていた人物で、スコット・フィッツジェラルドのギャツビーとイメージが重なる。禁酒法は1920年代を象徴する出来事の一つだ。闇で酒を飲ませる場所をスピークイージーといって、そのようなクラブやカジノがチャンドラーの小説にたくさん出てくる。『大いなる眠り』の頃には禁酒法が廃止されたので、クラブやカジノは違法ではなくなっているが、引き続きギャングが経営していた。写真集を見ると、チャンドラーの小説に出てくるナイトクラブのモデルになっていると思われる「トロカデロ」やサンタモニカの沖に停泊していた賭博船「レックス」などの写真が載っている。「レックス」には、ギャングのトニー・コルネロが所有し、運営していた賭博船で、最高の食事もできたと注釈が付いている。
写真集には当時のLA警察のチーフ、「二丁拳銃のデービス」の写真も載っている。悪名高いチーフで、いつも賄賂をもらっていた、とある。NYのハーレムのような黒人街、ダウンタウンの南にあるセントラル通りの写真も出てくる。セントラル通りは連日ジャズに明け暮れていて、そこから生まれたスターミュージシャンがワーデル・グレイやデクスター・ゴードンだ。デクスター・ゴードン自身が出演した映画『ラウンド・ミッドナイト』（86年／ベルトラン・タベルニエ監督）の舞台はパリとNYだが、デクスターはLAの出身だ。チャンドラーの小説には以上のような事実がちりばめられている。
1930年代を語る時に忘れてはいけないのは世界的な大不況で、農民や仕事のない労働者は厳しい生活を強いられていた。ジョン・スタインベックの『怒りの葡萄』も『大いなる眠り』と同じ1939年に発表されている。フランクリン・ルーズベルト大統領がニューディール政策を始め、積極的に公共投資をしたが、不況から脱出できたのは戦争になってからだ。この間、ドイツではヒトラーが政権を取り、ドイツやオーストリアから多数のユダヤ系の芸術家がLAに逃げてくる。アルノルト・シェーンベルクもその一人だ。チャンドラーの小説でギャングや買収された警官を相手に正義派の私立探偵、フィリップ・マーロウが活躍していた頃、シェーンベルクはUSCやUCLAで12音技法の講義をしていたわけだ。こういう多様な人々が多層にわたって生きているのが都会で、LAはまさに1930年代に都会になったと言えるだろう。
（2013年1月〜2月）

LAの夏は世界で最も過ごしやすいうちに入るだろう。特に海岸近くでは、海から冷たい風が入り込み、夜になるとセーターが必要になるぐらい気温が下がる。冬の寒さもごくマイルドなもので、零度以下になることはまったくない。
そのためLAは、東海岸や中西部、南部の人たちの避暑、避寒の土地として発展してきた。今でも「HOLLYWOOD」と書いた看板が山の上にあるが、これはもともと不動産屋の広告だったという話は有名だ。20世紀初頭に猛暑のテキサスや、酷寒のシカゴから人々がやってきた。
雨が降らず、撮影に便利なので、東海岸の映画人が来て、ハリウッドといえば映画の都ということになった。映画はトーキーになり、音楽が必要とされて、アメリカはもちろん、世界中から音楽家がどっとLAに流れ込んだ。なかにはイゴール・ストラヴィンスキーもいたが、結局映画の仕事はなかったようだ。映画のプロデューサーに「作曲にどのぐらいの期間が必要か？」と聞かれて「2年」と答えたからだと言われている。
僕が初めてLAを訪れたのは1970年だが、当時はLAの音楽産業の大隆盛時代で、サンセット大通りには録音スタジオがずらっと並んでいた。ライブハウスも盛況で、サンセットの「ウィスキー・ア・ゴー・ゴー」、サンタモニカ通りの「トルバドール」などでは、多くのスターミュージシャンが毎夜演奏していた。しかし、ライブハウスは今でも健在だが、録音スタジオはほとんどなくなってしまった。
その頃、僕はキャロル・キング、マック・デイヴィス、ニール・セダカなどの作家を抱えていた音楽出版社スクリーン・ジェムズ・コロンビアのサブ・パブリッシャーをやっていた。
僕がいつも泊まるホテルは、イーグルスの『ホテル・カリフォルニア』のジャケットで有名なビバリーヒルズホテルで、サンセット通りにある。東に向かってサンセット大通りを走ると10分ほどでラブレア通りがあり、ラブレア通りを越えた左側にある3階建ての何とも風情のないビルにスクリーン・ジェムズの本社があった。ホテルから会社まで一回も角を曲がらずに行けた。つまり、LAではボーッと運転していても会社に着けるというわけだ。ラブレア通りにあったA&Mレコードやヴァイン通りに今でもあるキャピトル・レコードなど、たいていのところは2、3回角を曲がれば着いてしまう単純な構造を持った町だ。
同じ頃、フランスのエディ・バークレイの音楽出版のサブ・パブリッシャーもやっていたのだが、この会社はパリのミロメニル街にあり、19世紀後半に作られたパリらしい雰囲気のある建物だった。そんな、ドビュッシーやエリック・サティなどが作曲していた時代の建物のなかで、当時のヒットソング、例えば後にポール・アンカが英詞を書いた「マイ・ウェイ」（原題「Comme d' habitude」）などが鳴り響いていたわけだ。ミロメニル街は一方通行なので、凱旋門近くのホテルから車を運転していくとぐるぐると何回も角を曲がらなければいけない。一方通行が多いので、どこをどう通るかかなり頭を使ったものだ。
パリでは町中が自動車競走のようだった。右側優先が徹底していて、凱旋門の周りを逆時計回りに走る車の渦に飛び込むと、左側の車はみんな道をあけてくれた。ルールを知っていれば問題なく走れるのだが、めまぐるしかった。一方、LAのサンセット通りを走る自動車はどれも大きく、皆ゆっくり、ゆったり走っていた。
スクリーン・ジェムズのビルの1階は駐車場になっていて、エレベーターで3階にある社長のレスター・シルの部屋まで行くのだが、これが世界で一番のろいエレベーターだった。
ともかくLAではすべてがゆっくり動いていた印象がある。人々は知らない人にも「ハイ！」と挨拶する。レイドバック（ゆっくりリラックスしている）、ダウン・トゥ・アース（素朴さ）がLAの文化なのだとわかるのにずいぶん時間がかかった。
パリの文化は対極で、エスプリ（機転が利くこと、早い）や洗練で成り立っている。知らない人に挨拶することなどありえない。
僕は最初にパリに行ってパリで仕事をし、パリの音楽業界の友人たちの紹介でアメリカの音楽業界人を知った。パリに住もうと思ったこともあるが、結局はLAに長年住むことになった。長年住んで思うのは、もうパリには住めないだろうな、ということだ。
快適な気候とレイドバックでダウン・トゥ・アースな暮らしになじんでしまった。パリに住んだら血圧が上昇するに違いない。
（2014年9月）

7月14日、日本では「パリ祭」、英語圏では「バスチーユ・デイ」と呼ばれるフランスの革命記念日に、南仏ニースでトラック・テロが起きた。85人の死者が出て、大変な衝撃を受けた。このあたりは世界有数のリゾートだ。19世紀末から「英国人の散歩道」と呼ばれている海岸道路には、ネグレスコなどの大ホテルとホテル専用の海水浴場がいくつも並んでいて、トップレスの女性が日光浴している。
ニースの西隣のカンヌは国際映画祭で有名だが、1960年代から冬季にレコードと音楽出版の見本市「MIDEM」が始まり、今も続いている。僕は1970年から1980年初めにかけて毎年MIDEMを訪れた。
カンヌはニースをうんと小規模にしたような海岸の町で、クロワゼットと呼ばれる海岸道路に、マルティネス、カールトン、マジェスティックなどの大ホテルがある。海岸にホテル専用の海水浴場があり、トップレスの女性がいるのはニースと同じだ。もっともMIDEMのある1月や2月は寒いから海岸には誰もいない。
MIDEM以外の時期には、ニースとカンヌの中間にあるアンティーブ岬の突端に位置する、写真家でアフリカ美術の蒐集家のジャン・ピゴチという友人の持っている広大な別荘によく泊まりに行っていた。レンタカーを借りてカンヌ、ニース、モナコ、国境を越えてイタリアのサンレモまでよくドライブしたものだ。
ある夏はLAの隣人で友人のエイブ・ソマーの家族と僕の家族で船を借り切り、この付近を航海した。乗船したのはサンレモで、一度サントロペまで南下し、カンヌの洋上で一泊した日がちょうど革命記念日、1994年の7月14日だった。
年まではっきり憶えているのはサッカーのワールドカップの年だったからだ。航海の途中に立ち寄ったイタリアのひなびた海辺の村のバーで、地元の人たちとイタリアとブラジルの決勝戦をテレビで観た。試合はPK戦にもつれ込んでイタリアが敗れ、村人たちは肩を落として静かに去っていった。可哀想にと思った。
話をカンヌに戻そう。革命記念日のお祝いの花火大会を海上から見るため、カンヌの海を埋め尽くすほどの船が集まってきた。小船から70メートルを超す大型船までさまざまだった。
陸側もクロワゼットに大勢の人々が集まり、花火を楽しんだ。僕はこの時の思い出を「Fireworks in Cannes」という曲にした。2001年にソニーから発売された『A Taste ofBlue』というアルバムに入っている。
ニースの事件もほぼ同じ状況、つまり海にたくさんの船が集結し、海岸道路にも多くの観衆が押しかけている最中に起きた。海岸道路の観衆にトラックが突っ込んできたのだ。なんてひどいことをするのか。フランス中の狂人たちが連鎖的に事件を起こし続けている。 ヨーロッパは過激派組織「イスラム国」（IS）関係の事件が多いが、アメリカでは人種対立、黒人対警察官の事件が続発している。先週、ダラスに住むチェロ奏者の岩崎洸さんが車を運転してLAまでやってきて、我が家で昼食をご一緒したのだが、岩崎さんによると、ダラスで人種偏見反対のデモを取り締まる警察官に対し、元軍人で狙撃兵だった男が発砲して5人の警察官の命を奪ったそうだ。警官が丸腰の黒人を射殺する事件が続発したので、その報復だという。
憎しみと報復の連鎖は早く断ち切らなければひどくなるばかりだ。射殺された警官の追悼式にはオバマ大統領も出席して、報復の連鎖を止めるようにと演説した。しかし、今、原稿を書いているこの朝に、黒人男性が南部バトンルージュで警官3人を死亡させ、3人に重傷を負わせる事件を起こしている。この連鎖はどう収束するのだろうか？
身近なところでは、先月UCLAの教授が教室で射殺され、キャンパスが大混乱した。教授に恨みを持った元教え子の個人的な犯行だったが、一時はテロかと緊張が走った。
アメリカでは2億7000万もの銃器が個人によって所有されているらしい。なかには一時に多くの人間を殺すことのできる高性能の自動銃もある。そんな銃でもアメリカ人なら誰でも買うことができるのだそうだ。何しろ憲法に銃を持つことの自由が書かれているし、全米ライフル協会のロビー活動が強力で、銃を制限する法律が議会を通りにくい。
金曜の夜、エイブ・ソマー夫妻と僕と家内で、サンタモニカ通りにできた新しいレストランに出かけて食事をした。魚や肉もあるが、どちらかといえばベジタリアン寄りの新しい料理を出す店で、40歳前後の客で超満員だった。道に面したガラス張りの壁の向こうから自動銃を乱射する男のイメージがちらっと頭をかすめた。そういうことがあってもちっとも不思議ではないと覚悟を決めて名物のコーン・ブレッドを食べた。恐ろしい世の中になったものだ。
（2016年8月）

僕の古いベンツが10年目を迎えた。LAでは古い車は毎年スモッグ・テストを受けなければ車検が下りない。今年もまたテストをしろと手紙が来たので、近所のガソリンスタンドに行った。ガソリン売り場の横にちょっとした工場が併設されていて、簡単なパンク修理やスモッグ・テストもできる。6人ほどが働いていて、全員と顔なじみだが、みなメキシコから来た人たちだ。普段はスペイン語をしゃべっている。
「前に一台入っているから45分ぐらいかかるよ」と言われた。どこかでお茶でも飲もうと向かいのビルを見た。2階に昔ユーミンもよく行っていた韓国人の姉妹が開いた日本料理屋があって、今でも日本料理屋なのだが、昼は閉まっている。その右に「マッサージ45分50ドル」の看板を見つけた。これだと思って入ったら、先客がいるらしく、誰も受付にいない。隣に似たような店があったので「マッサージ？」と聞いたら「マッサージは隣だよ。うちはフェーシャルだ」と言う。
「隣は満員らしいんだ。フェーシャルって何だ？」と聞いたら、顔の汚れを落としてすっきりさせるのだという。時間を尋ねると30分とちょうどいい。暇つぶしにやってみることにした。
ベッドに横になるとすぐ寝てしまった。起きたら「軽く日焼け止めをぬっておきます」と言って、おでこに何か塗ってくれた。
ガソリンスタンドに戻ると、エンジニアが「旦那、テストできないよ。どこかへ150マイルぐらいぶっ飛ばして走ってもらわないと、コンピューターが（その先は専門的過ぎて何と言ったかわからない）XXXXXXなんだよ」という。
「ただ走ればいいのか？」と聞くと「その通り。修理工場へ持っていってもダメなんだ」との答え。「じゃ、走ってくるよ」と言い残して家に帰り、「おーい、これからマリブのほうに走りにいくぞ」と家内を誘って、久しぶりに海岸をドライブした。
そういえば数ヵ月前、ベンツの工場に定期点検に持っていった時に「カーボンが溜まっているから掃除しておきました。時々ビューンと走らないと、またカーボンが溜まりますよ」と言われたのを思い出した。ドイツ生まれの車だ。アウトバーンを時速200キロで何時間も連続でぶっ飛ばすようにできている。渋滞のLAをのろのろと走って、近所のスーパーマーケットや歯医者に行くだけでは調子が悪くなるのだろう。昔はラスベガスやモンタレーまでよく走ったものだが、最近は年をとったのと、車が混むのとで遠くに行かなくなった。市内でもたもた走っているうちに調子が悪くなったのだろう。
フリーウェイ10番をサンタモニカ方面に走っていくと、海に突き当たり、フリーウェイは終わってPCH1というハイウェイになる。パシフィックコースト・ハイウェイ1の略だ。僕の大好きなレイモンド・チャンドラーの小説に出てくる悪人の家は、このPCH1のマリブの手前あたりにあった。フリーウェイとは信号もなく突っ走れる高速道路のことで、ハイウェイは歩行者が横切ったり、自転車も走ったりできる一般道路だ。ルート66というハイウェイを歌ったジャズの曲があるが、この道はLAからシカゴまで通じている。今はフリーウェイが発達しているので、ルート66沿いの町は一部ゴーストタウン化しているらしい。
左手に海を見ながら窓を開けて海の風にあたる。「こんなに海のそばに住んでいるのだから、時々海を見にきたほうがいいね」と言うと、家内も「そうね」と笑って気分が良さそうだ。
マリブの市街を過ぎると交通量も減り、景色もますます良くなる。このあたりでビューンと飛ばしたくなるのだが、法定速度を1割ぐらい超える時速80キロ程度で我慢しながら走った。お巡りさんも大目に見てくれる速度だ。もっともお巡りさんが夫婦げんかの翌日で、機嫌が悪かったりしたら捕まる可能性はゼロではない。
マリブの先は住んでいる人も少なく、広大な海軍基地がある。ミサイルを飛ばす練習をしているらしくて、先日も北朝鮮のICBMが飛んできたら迎撃するミサイルの訓練をしていると『LAタイムズ』で読んだばかりだ。アメリカは広い。横須賀でミサイルをぶっ放す練習をしたら近所の人は腰を抜かすに違いない。
その基地の向こう側のオクスナードという町からフリーウェイ101に乗って、カマリロ、ウエストレークと南下して、家に着いたらもう夜だった。100マイル強のドライブだった。翌朝ガソリンスタンドに行ったらスモッグ・テストに合格した。
やれやれ、これでもう1年何とかなりそうだ。
（2017年8月）

ワシントンの桜祭りは今年で106回目だそうで、それは東京市からワシントンに初めて桜が贈られた1912年から勘定してのことだ。106年の間には日米戦争があり、中断された時期もあったが、日米両国の人々の熱意によって復活し、今や春のワシントン名物になった。3週間にわたって音楽、アート、舞踊などのイベントが続き、最後はきらびやかなパレードで幕を閉じる。すべてのイベントが無料なので、ワシントン市民にとっても春の楽しみの一つになっている。
3年前から全米桜祭り協会と Ryuji Ueno財団が、異なった作曲家に主題曲を委嘱するようになり、今年は僕が曲を書くことになった。依頼されたのは昨年の秋で、依頼内容は、編成はピアノクインテット、長さは8分から9分、そのほかはすべて自由だが一部に最低8小節「サクラ、サクラ」のメロディーを使うようにとのことだった。ピアノクインテットなんか書いたことはないのだが、幸いアレンジャーを使ってもよいということだったので、クリスチャン・ジャコブと共同で作業を始めた。
まずは基本構想作り。過去の体験や読んできた本が頭の中を駆け巡る。坂口安吾の桜、京都円山公園の夜桜見物の寒かったこと、T・S・エリオットの『荒地』の書き出しの「四月は一年の中で一番残酷な月だ」という一節などだ。桜が満開の時に雪が降ったらきれいだなとも思った。
それで主題は短調で書き、最後に春の明るい光を感じさせる長調で終わる構成を考え、メロディーを書いて「Sakura on the Potomac」と名づけた。クリスチャンに趣旨を説明し、アレンジを託した。仕上がってきたスコアをピアノでポツンポツンと弾いてみると、弦で弾いたら絶対にいい音がすると確信した。ワシントンに飛んで「6821クインテット」と2日間リハーサルをして本番に臨んだ。クインテットのメンバーは木嶋（きしま）真優（ファースト・バイオリン、リーダー）、エリック・シルベルガー（セカンド・バイオリン）、メン・ワン（ビオラ）、クランシー・ニューマン（チェロ）、ピアノのマティアス・ピエガリなのだが、マティアスが交通事故で出演ができなくなり、ワシントンDCに住むジェーソン・ソルニアスが代役で演奏した。「6821」という数字はワシントンから東京までの距離（マイル）だそうだ。
木嶋さんは2016年に開かれた第一回「上海アイザック・スターン国際バイオリン・コンクール」で優勝した実力者、メンはフィラデルフィア管弦楽団のメンバー、エリックはソリストとして世界を回るバイオリニストで、みな個性的でうまい。僕の曲のなかにはメロディーを4小節ずつチェロ、ビオラ、第2バイオリンのソロ、そして第1バイオリンがリードする合奏の部分があるのだが、それぞれに個性を強調して歌うように弾いてくれと頼んだら、ものすごく情感のこもった演奏になって感動した。
演奏会はエヴァーメイという1801年に作られたジョージタウンの大邸宅のサロン、ワシントンDCのダウンタウンにあるワーナー劇場、最終日はナショナルギャラリーの中にある小劇場で行われた。ナショナルギャラリーでは『カリオストロ伯爵夫人』のピアノトリオ版も演奏したのだが受けていた。
ワーナー劇場では6821クインテットの前に矢野顕子さんが弾き語りをやった。楽屋で久しぶりに再会して嬉しかった。ちゃんと話すのは1980年のYMOのロンドン公演以来だ。
演奏会をすべて見届けてLAに帰り着いた時はホッとした。考えてみれば昨年末の『LA meets TOKYO』のコンサート以来、金沢交響楽団と金沢で公演し、1〜2月は『LA meets TOKYO』のテレビ放送用の音楽ミックスでスタジオにこもり、3月初めには渡辺晋賞授賞式のために東京に行き、ついでに前から主治医に言われていた大腸ポリープのでっかいのを切除手術してLAに戻った。そのわずか数日後のワシントンDC行きだったから、本当に息をつく間もなかった。
幼い頃のモーツァルトの過酷な演奏旅行のこと、ユーミンの昨年の100回公演のことを考えた。音楽家は旅をする。『LA meets TOKYO』の後、ホルヘはパリで録音だった。さっきLAのキャピトル・レコードのスタジオで会ってきたのだが、月末はヒューストン、来月はロンドンでロンドン交響楽団と録音するそうだ。クリスチャンはジャック・ジョーンズと英国ツアーを1ヵ月やり、その後もシアトル、NYなどを飛び回っている。
僕は若い頃、ヒット・ソングライターとして毎日寝る時間もなく曲を書き、その後音楽出版社を始め、世界中を旅することになった。結局、LAに住み着いてしまったのだが、今も旅をし続けている。こんな暮らしがいつまで続けていけるのかわからないが、できるところまでやってみるつもりだ。
（2018年5月）