2007年08月24日
キラリと光る今剛のStudio Cat その2

▲今剛『Studio Cat』
今剛の名前を意識したのは松田聖子の『SQUALL』だったと思われる,
と書きましたが,確認のため,クレジットをチェックし直してみました。
すると,やっぱり記憶というのはあてにならないもので,
確かに今さんが参加していることはしているのですが,
今さんが弾いていると思っていた曲の大半が松原さんでした。
この松原さんのギターも絶品です。
特に「ロックンロール・デイドリーム」の
ねばっこいギター・ソロは,当時よくコピーしましたが,
あの独特のチョーキングのニュアンスが再現できず往生したことを覚えています。
この時期の松原さんと今さんのギターは,
ちょっと聴いただけでは区別できないほどスタイルが似ているのですが,
これについては,数年前に松原さんにインタビューする機会を得た時に,
なぜ似ているのかと,失礼を承知で聞いてみたことがあります。
すると松原さんは,そのことを認めながら,
「それは自分たちでも不思議。ルーツはもともと全然違うが,
その後いろいろなものから影響を受けているうちに,
到達点が同じところにいたんだろう」と,大要,以上のように答えてくれました。
今さんには残念ながらまだ聞いてみたことはありませんが,
機会があればぜひお聞きしたいと思っています。
さてさて,話を元に戻しますが,
むしろ今さんのギターが前面に出るのは2ndの『North Wind』でした。
これも80年です。
白眉はタイトルチューンの「North Wind」で,
これぞ今剛!というドライブするギターが聴けます。
ギター・ソロも天衣無縫の今節! カッコイイです。
バラードの「Only My Love」のソロもイカシています。
スタジオミュージシャンとして,頭角を現したこの年,
初のソロ・アルバム『Studio Cat』は発売されたのでした。(つづく)
(変酋長)
投稿者 ギター・マガジン編集部 : 12:29
2007年08月23日
キラリと光る今剛のStudio Cat その1

▲今剛『Studio Cat』
久々に80年の私的名盤ファイルをつづってみようかと思います。
そもそもこのコーナーは,ギター・マガジンの創刊25年を記念して始めたもので,
その創刊年にあたる80年の名盤を
思い出すままにファイルしてみようと思ったわけです。
あくまで「私的」名盤ですから,世間の評価とかけはなれようが,
少々マニアックなものが混じろうが,そんなことはどうでもよく,
ただし,ギター的に面白い,そういうものをチョイスしました。
これまでのファイルは右の「80年代の私的ギター名盤ファイル」に
まとめてストックしてありますので,ぜひお読みになって下さい。
ま,いつも書いているように,音楽がデータでなかった頃の幸せな話ですよ。
当時の甘酸っぱい想い出やら,個人的な感慨なども
多分に含まれていることをお断りしておきます。
今回取り上げるのは今剛の『Studio Cat』です。
80年に発表された唯一のソロ・アルバムが,このたび奇跡の紙ジャケ化!
いや〜,すごいことです,これは。
今さんについてはギター・マガジンを長年ご愛読下さっている方には
釈迦に説法でしょうが,知らない人のために書いておくと,
30年以上に渡って常にファーストコールの地位を保ち続けている,
超一流のギタリストです。
ファーストコールとは,セッションやレコーディングにおいて,
一番に声をかけられる,という意味です。
参加したレコーディングやライブは数えきれず,
現在でも井上陽水,宇多田ヒカル,今井美樹などなど,
J-POPの最前線で先鋭的なギターを弾き続けています。
おいらが今剛という名前を意識したのはおそらく松田聖子の
『SQUALL』(80年)というアルバムだったかと思われます。
当時,紅顔の美少年でなおかつクレジットオタクだったおいらは,
歌謡曲系の作品のミュージシャンのクレジットは片っ端からチェックしており,
そこに見つけた今剛の名前を深く心に刻み込みました。
それより以前に,大村憲司,松原正樹,土方隆行,矢島賢,水谷公生,椎名和夫,
鈴木茂,徳武弘文,芳野藤丸といった名前はチェックしていましたが,
今剛は知らなかったので,突然彗星のごとく登場した,という印象でした。
『SQUALL』で聴ける,こなれたギターにハッとしてGood !(死語)
心に涼風がそよぎだしました。(つづく)
(変酋長)
投稿者 ギター・マガジン編集部 : 11:05
2005年12月13日
80年の私的名盤ファイルその9
『カリフォルニア・グレープフルーツ・フレッシュ・オレンジジュース』
PAL
『ちょっとマイウェイ』というドラマをご存じでしょうか。
79年の秋から80年の春にかけて日本テレビ系列で放映されていたドラマで,
主演は桃井かおり。共演は研ナオコ,八千草薫,岸本加代子,犬塚弘など。
東京郊外にあるという「ひまわり亭」なるレストランを舞台に,
笑いあり涙あり愛情あり友情ありの
なんとも心温まる人間模様を描いたコメディです。
(このドラマはビデオ化されておらず,熱心なファンによる
DVD化運動が起きているそうです)
おいらは毎週見ていたわけですが,
本当に面白かったんですよ。
ドラマ自体も面白かったんですが,その音楽がまた素晴らしい!
テーマ曲は「夜明けのマイウェイ」という曲で,
けっこうなヒット曲になったので,
ご存じの方も多いのではないでしょうか。
歌っていたのはパルというグループです。
ワンヒットワンダーとして覚えている人も多いかもしれませんね。
この曲のヒットのおかげで『ザ・ベスト・テン』などの
歌番組にもよく出ていました。
(余談ですが,カラオケに行くと,この曲は大抵あります)
テーマも素晴らしいんですが,このドラマは音楽が非常に凝っていて,
まるで映画のサントラよろしく,
場面場面にマッチした洒脱な音楽が流れるのです。
これがおいらにはものすごく新鮮で,音楽を聴くだけでも
このドラマを見る価値はあると毎週思っていたのでした。
“どおにでもなある,らあじこんぶるーす”っていうフレーズ,
聞き覚えありませんか?
音楽を担当していたのは荒木一郎でした。
そう,あの荒木一郎です。
シンガー/ソングライターの草分けで,
60年代に「いとしのマックス」や
「空に星があるように」を作り歌ったあの人です。
おいらは残念ながらリアルタイムではないですが,
当時の荒木人気は相当なものだったようで,
今でもベストが出たり,全集が出たり,
その業績を再評価する動きはやむことはありません。
俳優としても活躍し,ジュリー主演の『悪魔のようなあいつ』では
レーサー崩れのろくでなし男をいい感じで演じておりました。
ちょっと前に,チャーにインタビューした時に,
ルーツを聞く機会があったのですが,
すると,アコギをつまびきながら
いきなり“そおらにほしがああ,あるようにいい〜”と
低音の魅力で歌い出しました。
これにはびっくりしましたが,
ああ,なるほどこの世代の人に
多大な影響力を持ったのだなと合点がいきました。
それはそうとして,ドラマ『ちょっとマイウェイ』のサントラ全曲は,
作詞作曲からプロデュースまでを荒木一郎が担当しています。
これが本当に洒脱なスクリーンミュージックで,
それまでに触れたことのない素敵な世界に連れて行ってくれるようでした。
当時,おいらは荒木一郎をいにしえの昔の
流行らないフォーク・シンガーと思っていたので,
その彼がこんなにオシャレな音楽を作ることに感動を覚え,
またどうしてこのサントラを担当しているのか不思議でなりませんでした。
あとでわかったことですが,
当時荒木は桃井かおりのプロデュースをしていたので,
その流れでお鉢がまわってきたのでしょう。
歌っていたパルは,女声1人,男声3人の混声コーラス・グループで,
その歌唱力とハーモニーは素晴らしく,実力がありました。
彼らの抜群のコーラスを十分にいかした曲作りが
このサントラのキモでした。
めくるめくハーモニーに毎週毎週クラッっという感じです。
当時,おいらはパルの歌が聴きたくて聴きたくて,
「夜明けのマイウェイ」をラジオでエアチェックするのはもちろん,
サントラを手に入れようと,ヤマハのミニトレをかっ飛ばして,
町のレコード屋に行きましたが,手に入りませんでした。
これがおそらく79年のことだったと思います。
(結局,入手したのはのちのち80年代中盤のこと。
近所の貸しレコード屋が廃業する時に,
閉店セールでレンタル落ちをゲットしました)
サントラ自体は79年に出ているのですが,
ドラマは80年にまたがっていたので,
ここでは80年の名盤として紹介します。
パルのアルバムはてっきりこれだけかと思っていましたが,
調べてみると3枚あったようです。
デビュー盤となるこの作品は,アカペラの要素が多分にあり,
そのハーモニーの素晴らしさは今もって変わりません。
もちろんボイパなんかないですが,
基礎がしっかりした本格的なハモリです。
何よりウキウキでハッピーな感じがいいなと今でも思います。
94年にCD化された時に,即買いしましたが,
おそらくそれっきりで廃盤と思われます。こんな名盤が!
ぜひドラマのDVD化とともにCDの再発も!
2005年12月06日
80年の私的名盤ファイルその8
『ハウ・マッチ・ロンガー』ザ・ポップ・グループ
本誌の表紙をデザインしてくれている
デザイナーのMさんの事務所には,
いつもイカシたアナログ盤が飾ってあることは以前も書きましたが,
先日訪ねた時にはマーク・スチュワートのソロ・アルバムがありました。
マーク・スチュワートといえば,元ポップ・グループのフロントマンで,
知る人ぞ知るインダストリアル系の元祖。
ポップ・グループは,70年代末に登場した
ポスト・パンクの強烈なバンドでした。
ノイズ+フリージャズ+ファンク+パンクの合体,
ダンスビートにフリーキーなギター。
何から何まで衝撃的で,聴いたことのない種類の音楽でした。
初めて聴いたのは渋谷陽一の
『サウンドストリート』だったような気がしますが,
まあ,ぶったまげたもんです。
79年にデビュー・アルバム『Y』を発売,
80年には2ndアルバム『ハウ・マッチ・ロンガー』を発売しました。
おいらが聴いたのはこれでした。
しかし,なんかスゲエなあと思ったものの,美メロはないし,
ギターもコピーするところはないしで,
愛聴盤になるまでにはいたらずに,
ごくたまにしか聴きませんでした。
一枚通して聴くのつらいし。
それでも,いつも心のどこかに引っかかっていて,
マーク・スチュワートのソロが出たりするとチェックしては,
ああ,変わらないななどと思っては,
結局一度しか聴かなかったり。
そんなことを繰り返してきました。
デザイナーのMさんは,相当聴き込んでいるようで,
おいらが「あ,マーク・スチュワートのソロですね」と
飾ってあるLPを指摘すると,ぐいっと身を乗り出してきました。
そこからはポップ・グループの話で盛り上がりました。
Mさんによると,マーク・スチュワートやポップ・グループは
今の若者にもけっこう人気があるそうです。
確かに,今のダンスミュージックや
トランスなんかと通じるものがあるよなあと思いつつ会話は続きます。
「そういえば,イギリスのニューウェイヴ系のバンドで
元はギター・ポップだったのにエレポップやダンス方面に行った
バンドってけっこうありますよね」とおいら。
「まあ,ジョイ・ディヴィジョン→
ニュー・オーダーが原型ってことですよね」とMさん。
「そうそう。あと,エブリシング・バット・ザ・ガールとか。
なんでなんでしょうか」
「たぶん,そのほうが気持ちがいいってことでしょう」
なんだかわかったようなわからないような。
でも,イギリスのギター・ポップと
ダンスビートは互換性があるような気はします。
古くはアズテック・カメラとかヤング・マーブル・ジャイアンツとか
近年ではステレオラブとか,フランツ・フェルディナンドとか。
昆虫の変態のようなものでしょうか。
ポップ・グループのこのアルバムは
今聴いても,ちっとも古くはないどころか,
今の若い人が聴いたほうが
グッとくるんじゃないかなと思います。
カッコイイですよ。
でも,やっぱり一枚通して聴くのはつらい。
2005年11月25日
80年の私的名盤ファイルその7
『Back To The Street』佐野元春
佐野元春のデビュー・アルバムです。これも80年でした。
当時,ひとつ後輩の女の子から佐野元春のことを知りました。
正確に言うと,一番最初に聴いたのはこのアルバムではなく,
シングルの「ガラスのジェネレーション」でした。
つまり,81年だったのでしょう。
そこからおそらく2ndの『Heart Beat』のほうを先に聴き,
『Back To The Street』にさかのぼったような記憶があります。
結果,どちらも夢中になって聴きました。
なんかとてつもなく斬新な,聴いたことのない音楽でした。
当時のニュー・ミュージック(今で言うJ-POP)で
圧倒的な人気を得ていたのは,なんといってもサザンオールスターズ。
そして,松山千春,長渕剛,松任谷由実,アリス,
竹内まりや,石川優子,チャゲ&飛鳥,甲斐バンド,ハウンドドッグ,
オフコース,八神純子,世良公則とツイスト,シャネルズ,
ジューシィ・フルーツ,柳ジョージ&レイニーウッド,チューリップ,
庄野真代,中島みゆき,渡辺真知子,寺尾聡,などなど,
さまざまなアーティストが台頭して,一時代を築いていました。
そんな混沌とした中にまさに彗星のごとく登場したのが
佐野元春だった,という印象です。
なんというか,キャンバスを塗り替える感じでしたね。
「グットタイムス&バッドタイムス」や「さよならベイブ」のように
甘いキャッチーな曲もあれば,
「アンジェリーナ」や「夜のスウィンガー」などロックな曲もあり,
聴いたことのない洗練されたアレンジでやっていました。
そして,佐野元春を他者と分けていた大きな要素,
それはR&Bとかソウルの感覚です。
これについては,実はいまいちピンときませんでした。
やはりガキには無理だったということでしょうか。
しかし,「情けない週末」などを今聴くと,
情感タップリのソウル・バラードで,ものすごく滲みてきます。
「Do What You Like」はスウィング感溢れる
ボードヴィル・ソングで,心躍ります。
ギター小僧的にノックアウトされたのは,やはり「アンジェリーナ」です。
イントロのフランジャー。
これはこの世代の人の多くが真似っこしたんじゃないかな。
16ビートのカッティングにフランジャーをかけたあのフレーズです。
スミからスミまでコピー……,というわけにはいきませんでしたが,
要所要所に素晴らしいギター・プレイが満載で,よくコピーしていました。
「さよならベイブ」のソロとかですが。
フランジャーといえば,もうひとつ名曲があります。
当時大人気を誇っていたレイジーの「ドリーマー」という曲。
やはりイントロで16ビートのカッティングに
フランジャーをかけたプレイなのですが,
これがやたらかっこよくて,しかも弾いてて気持ちいい。
当時,おいらはグヤトーンのMoving Boxという
フランジャーを持っていたのですが,どうも調子が悪くて,
後輩からボスのを借りたら,もう全然違うんで,そのまま借りっぱなしに。
これはものすごくいいフランジャーでした。
偶然ですが,「アンジェリーナ」も「ドリーマー」も
プレイのアプローチは同じなんですよね。
当時そんなことは全然考えませんでしたが。
なにはともあれ,『Back To The Street』は
日本のポップ史に輝く名盤です。
さらに言うなら,次作の『Heart Beat』,
そして3作目の『Someday 』もいずれ劣らぬ傑作だと思います。
もちろん今聴いても,少しも色あせてはいません。
2005年11月24日
80年の私的名盤ファイルその6
『CHAKRA』チャクラ
この摩訶不思議なポップを耳にしたのもやはり80年。
そういえばその頃だったなあと懐かしく思い出します。
チャクラの1stアルバム『CHAKRA』です。
矢野誠のプロデュースでした。
例によってFMで初めて聴いたのですが,
音作りはニューウェイヴで,
チャイナ・ポップやオキナワン・ポップのようなテイストがあり,
さらに,フュージョン的なテクスチャーやキメが随所にあり,
しかもダンス・ミュージックという,とても新鮮な音楽でした。
とにかく壮大で幻想的でプログレッシヴ。そんな印象でした。
ボーカリストは知る人ぞ知る小川美潮で,
その歌声のスケールの大きさに驚きました。
ギターは,その後,
映画のサウンドトラックなどで活躍することになる異才,板倉文。
キリングタイムという,これまた知る人ぞ知る
大変グルーヴィなバンドもやっていました。
チャクラは3枚アルバムを出して解散。
あまり人気は出ませんでしたが,
それぞれのアルバムが創意に満ちていて,捨てがたいものがあります。
1stアルバムは,今聴くと,ものすごい人力グルーヴに圧倒されます。
当時は板倉のギターそれほどテクニックがあるとは思いませんでしたが,
どっこい,スティーヴ・ハウをメロウにしたような
素晴らしいソロを弾いていたり,カッティングのキレも素晴らしいです。
日本のロック史の本などでは,名前は見かけますが,
決して2行以上は記述されないバンド。
やはり早すぎたのだろうと感じます。
チャクラのアルバムは90年代に一度CDになり,
その後,2002年にも再発されたようです。
興味のある人はぜひ。
そういえば,5月のクロスオーバージャパンに
キリングタイムが出たのですが,
まったくイベントに不釣り合いながら,
とてつもなく素晴らしい演奏を聴かせてくれました。
「異形の音楽」を目の当たりにしました。
キリングタイムは今年の3月に
オリジナル・アルバムが一斉に再発されました。
こちらもご興味あれば。
2005年11月04日
80年の私的名盤ファイルその5
『PRETENDERS』プリテンダーズ
邦楽が続いたので,ここらでイカシた洋楽を。
プリテンダーズの『PRETENDERS(邦題:愛しのキッズ』です。
79年,キンクスのカバー「ストップ・ユア・ソビング」を
ニック・ロウのプロデュースでリリースしたのがデビュー。
翌80年,シングル「KID(邦題:愛しのキッズ)」が全英チャートNO.1,
同曲を収録した本作もチャートのトップに輝きました。
シンプルなロックンロールが基本ですが,
ビンテージの匂いはほとんどなく,かといってパンクでもなく,
最もピッタリ来るのは「ニュー・ウェイヴ」でしょうか。
ロックンロールからバラードまで,女傑クリッシー・ハインドの書く曲は,
何か新しい雰囲気に満ちていました。
加えてギタリストのジェイムス・ハニーマン・スコットのプレイは
ソリッドで切れ味が鋭く,
旧世代のギタリストを一掃してしまうような斬新な魅力がありました。
レコーディングではそれほどでもないのですが(といっても十分いい),
ライブのプレイは見違えるようで,
ほとんどひらめきだけで弾いてる感じ。
湯水のごとく湧いてくるフレーズのアイディアに感嘆したものです。
たしかBBCのライブだったと思うのですが,
NHK FMで彼らのステージが放送されたことがあります。
それを聴いて,ああ,レコードとこんなに違うのかと
驚いたことをはっきり覚えています。
アルバムは当然のごとく,全部コピー。大好きでした。
今でもおいらは,最も好きなギタリストは?と聞かれれば,
ランディ・ローズの次にハニーマンをあげます。
81年に2ndアルバム『PRETENDERS II』を出したあと,
不幸なことに,ハニーマンは若くして他界してしまいます。
この2ndも非常にいいアルバムなので,お薦めします。
その後,プリテンダーズにはロビー・マッキントッシュという
ギタリストが加入。この人も悪くないのですが,
わりときちきちっと弾くタイプなので,
初期のアグレッシブな感じとか,いい意味でラフな感じが失われ,
アルバム全体の感じが小さくまとまり,
商品として「優等生」的な内容になっていきました。
皮肉なことに,ロビー加入後にバンドはアメリカでも大ブレイク。
「Don't Get Me Wrong」(現在“とくダネ!”のテーマ)や
「Middle Of The Road 」などのヒットを放ちます。
それでもやはりプリテンダーズは好きでしたから,
ずっと追いかけていました.
大学生の頃,ハニーマン時代の曲をバンドでコピーしたこともあります。
80年代の中盤に来日が決まったのですが,なぜか中止になりました。
会場は武道館。バンド仲間達と行くことになっていましたが,
いきなりの中止でけっこう落ち込みました。
チケットを払い戻すかどうかで迷いましたが,
結局,全員からチケットを預かり,それを生協でコピーしてから
払い戻しに行きました。その後,仕切り直し来日が決定。
武道館まで見に行きましたが,コンサートの内容はよく覚えていません。
ロビー・マッキントッシュには,
のちにポール・マッカートニーのバンドで来日した時に
インタビューする機会を得ました。
ポールとやれることを非常に喜んでいたのを覚えています。
こうして聴き返してみると,
やっぱりハニーマンがいた頃の,
この背筋がゾクゾクするほど
スリリングな感じが好きだなと改めて思います。
関係ないけど,オジー・オズボーンもランディがいた頃の2枚が好きですね。
あ,特に悲運のギタリスト贔屓ってわけじゃないですが。
2005年10月24日
松田聖子2枚の続き
『SQUALL』松田聖子
『North Wind』松田聖子
う,おいらがぐずぐずしている間にコメントありがとうございます。
(ひとつ前のエントリーを参照)
そうですか,今でも『North WInd』の曲をライブでやってるんですか。
なんかうれしいですね。どの曲やってるんだろう。
「Only My Love」とかですか。あれなら時代を超えた名曲ですよね。
松田聖子のデビューは80年。
デビュー曲は「裸足の季節」で,
これがCMで使われ,やや注目されましたが,
本格的なブレイクは次の「青い珊瑚礁」まで待たねばなりませんでした。
その後は快進撃を続けていくわけですが,
ここでちょっと同時代のアイドルを見てみましょう。
代表的なのは,なんといっても岩崎良美です。
「赤と黒」でデビューした岩崎良美は,
抜群の歌唱力と,岩崎宏美の妹という血統の良さで,
デビュー時にはすでに人気者になっていました。
たしか,欽ちゃんのドラマにも出ていて,
それも人気の要因だった気がします。
(このドラマ名がどうしても思い出せない。
誰か知ってる人いませんか?)
そして,「涼風」,「あなた色のマノン」とヒットを飛ばし,
ますます人気が出ます。
おいらの記憶では聖子に大きく水をあけていたような気がします。
のちに「タッチ」が大ヒットしたため,
すっかり“タッチの人”というイメージが定着してしまいますが,
最高傑作は「涼風」でしょう。知らない人はぜひ聴いてみて下さい。
吉野藤丸作曲のガール・ポップの名曲ですよ。
「涼風」岩崎良美
さて,本題に戻りましょう。
「青い珊瑚礁」の大ヒットによって,岩崎良美を蹴落として,
一躍,ナンバー1アイドルとなった聖子の活躍は……
と述べているとキリがないので,知らない人はどこかで調べて下さい。
聖子は1年間に2枚,
夏と冬にアルバムを出すというのがコンセプトでした。
その皮切りが『SQUALL』と『North Wind』です。
夏には夏らしいタイトルと内容の,
冬には冬らしいタイトルと内容の作品を出すという,
今考えるとひねりのないコンセプトですが,
当時なんか画期的なことのように思えました。
何より,新しいアイドルを創造しようという
当時のCBSソニーの熱気がみなぎっていて,
その雰囲気はジャケットからもプンプン漂ってきます。
この原則は84年で一区切り付いたようです。
ちなみに,聖子最高の名盤は81年冬の『風立ちぬ』と
82年夏の『Pineapple』だとおいらは考えておりますが,
これについて論じるとこれまたキリがないので,別機会に。
(つづく)
2005年10月21日
80年の私的名盤ファイルその4
『SQUALL』松田聖子
『North Wind』松田聖子
迷いに迷って,今日はこの2枚です。
両方とも80年に出たもので,初期聖子の大傑作。
作曲家にまだ小田裕一郎を起用していた頃のものです。
前者はスタジオ界に松原正樹&今剛黄金時代の到来を告げる作品として
とらえていいでしょう。
後者には,今さんを始め,吉野藤丸や松下誠など,
新進の実力派スタジオ・ミュージシャンが名を連ね,
80年代歌謡曲サウンドのひな形を作っています。
永遠のポップスター松田聖子の伝説はここから始まりました。
(つづく。毎回数行ずつぐらいで更新していこうかな)
2005年10月20日
80年の私的名盤ファイルその3
知ってる人少ないかもしれません。
あるいは名前は知っていても、ちゃんと聴いたことのない人も多いかも。
ガールのデビュー・アルバム『シアー・グリード』です。
これも80年に出ました。
ガールはいわゆるNWOBHMシーンの中にいたバンドでした。
何? NWOBHMがわからない?
母音がたったひとつで非常に語呂の悪いこの記号のような略語は
New Wave Of British Heavy Metalを表わします。
もちろん、わかる人のほうが多いと思いますが。
70年代末期に突如として湧いたイギリスのヘヴィメタル・ブーム。
アイアン・メイデンを筆頭に、サクソン、タイガーズ・オブ・パンタン、
Y&T、モーターヘッドなど数々のバンドが群雄割拠し、
そのブームは当然のごとく日本にも飛び火しました。
ガールもその渦中にいたのですが、
そもそもバンド名がいかがなものかと物議を醸し,
ボーカルのフィリップ・ルイスの妖しい美少年系のルックスと
全員がお化粧するというメタル・バンドらしくない振る舞いが
センセーションを巻き起こして、もっぱらアイドル・バンド扱いされ、
ここ日本ではティーンエイジャーの女子を中心に人気が白熱。
古くはクイーンやベイ・シティ・ローラーズで、直前にはジャパンで
イギリスのアイドル・バンドの扱いをしっかりと学習していた
女子たちに同じ目線で見られる羽目になりました。
いや、それが悪いと言ってるんじゃないですよ。
いいじゃないですか、人気が出たんだから。
しか〜し、ギターのフィル・コリンのテクニックはメガトン級で、
それまでの概念を覆すような速弾きに、
当時のギター小僧はしびれたのです。
もちろんおいらもそのひとり。
ヒット曲となった「ハリウッド・ティーズ」のソロに代表される、
超高速6連フレーズは、それこそ目にも止まらぬ速さ。
それもフル・ピッキング。
あんなの聴いたことありませんでした。
おいらは6連符自体をこの曲で知った気がします。
(のちのちマクラフリンとかを聴いて,とっくの昔に
もっとスゴイ人がいたのだと知るのですが)
加えて曲のよさがピカイチでした。
同列で語ることはできないにしても、
当時のNWOBHMの中で曲のクオリティだけに注目してみれば、
このアルバムは、ベスト3には食い込むはずです。
とにかく捨て曲なし。
グラム・ロックあり、ロックンロールあり、
サイケあり、ポップあり、キッスのカバーありとバラエティに富み、
ダークかつビューティフルな作品です。
今聴いても、もちろんOKです。
この作品もやはり70年代とも80年代とも区分けできない
不思議な感じがあります。
日本では長いことCDにならなくて、
海外盤はけっこうマニア・アイテムになっていたようです。
海外盤を探してけっこうレコ屋を回っても見つからず,
今のようにアマゾンもなく,ただひたすら待つのみだったところへ
98年,ようやく(なぜか)クラウンから国内盤が出ました。
でも,たぶんわずかな初回プレスのみで消え去ったことは
間違いないでしょう。
フィル・コリンとジェリー・ラフィーのギターの絡みも
面白く、当時、おいらもずいぶんコピーしました。
しか〜し、人気は長続きせず、
2ndを出した後にフィル・コリンが脱退し、
デフ・レパードに行ってしまいます。
まるで音楽性の違う、
おいらに言わせれば大しておもしろくもないバンドに。
(あくまで私見ですよ。念のため)
そして解散。フィリップ・ルイスはのちにLAガンズに参加します。
今、CDのクレジットを見返してみると、
実は曲の大半はジェリー・ラフィーが作っていたことがわかります。
彼はルックスも地味でサイド・ギターでしたから、
なんとなく日が当たらず軽視されていました。
その後、バンドのウワサも聞きましたが、消息は知りません。
こんな素晴らしいアルバムを残し消えていった
悲運のギタリストがここにもいます。
ガールは当時来日も果たし、
そのライブの模様はNHK FMで放送されました。
音はあまりよくなかったのですが、テクニックは本物でした。
その時のカセットテープはまだどっかにあると思います。
時代の徒花と言うにはもったいなさすぎるこのバンド。
いつか再評価されることを望みます。
メタル・バンドの中では、ランディ・ローズがいた頃の
オジー・オズボーンの次に好きなのがガールですね。
2005年10月18日
80年の私的名盤ファイルその2
ご存じ,RCサクセションの『RHAPSODY』です。
これも80年の発売でした。
RCの出世作にして、大ヒット・アルバムです。
一家言ある人,いっぱいいるんじゃないかな。
お恥ずかしいことに,おいらがRCを知ったのは
このアルバムが初めてでしたが,
けっこうそういう人も多いと思います。
FMで初めて「雨あがりの夜空に」を聴いて,
そのショックにしばらくしびれておりましたが,
翌日いてもたってもいられず,ミニトレを飛ばして
レコ屋に行くといういつものパターンをたどりました。
今聴いても,全然古くさくなく,
それどころか,ああ,いいロックってこういうもんなんだ
というエネルギーと躍動感にあふれ,
ほんのちょっとのセンチメンタルが味付けされています。
聴いてると,どんどん気分が盛り上がり,
「雨あがりで」最高潮に。
その後のアンコールでは絶頂に,という具合。
もちろ〜ん,全曲コピーしました。
弾いててものすごく気持ちいいアルバムでもあります。
チャボのストロークにカッティングにスライド,
小川銀次の弾きまくりギター,
ふたりのギターのバランスが見事にとれていて,
バンドのお手本のような演奏です。
実は,この『RHAPSODY』の完全版が発売されることになりました。
タイトルは『RHAPSODY NAKED』!
当時,久保講堂で行われたライブには,
当然のごとくまだまだ曲はあり,
収録されなかった分がよみがえることとなったのです。
なんと全18曲! 当時は全9曲ですから,すごいボリュームです。
その中には,あの名曲「スローバラード」や
「いい事ばかりはありゃしない」なども!
さらに未発表写真集やDVDも付くというまさにファン待望の逸品。
考えてみれば,LP時代に
それほど売れてないバンドのライブを出そうとする場合,
全19曲の2枚組では非常にやりづらかったでしょう。
想像するに,泣く泣く削った結果が
当時の『RHAPSODY』だったのではないでしょうか。
さて,おいらにとってはこのアルバムと対になるような
RCの名盤がもう1枚あります。
同年の暮れに出た『PLEASE』です。
“じゅぎょうをさぼって〜”まではいきませんでしたが,
これもホントによく聴いたアルバムです。
「トランジスタ・ラジオ」とか「ダーリン・ミシン」とか
「モーニング・コールをよろしく」とか,
タイトルを並べるだけで“青春”の二文字が
まぶたの裏に映し出されます。よよよ。
特に「モーニング・コール〜」に出てくる
“本物の君のキスで目をさませる朝が来るまで、電話で我慢するさあ〜”
という部分に、いたいけなチェリーボーイのおいらとしては、
少しだけ大人の世界をのぞいた気がして胸が苦しくなったものです。
懐かしいな。甘酸っぱさと黒っぽさの同居した名盤ですね〜。
実際,ソウルとかR&Bの匂いを
当時の中坊とか高校生に
知らず知らずのうちに刷り込んだのは
このアルバムじゃなかったかと思います。
ま、当時はソウルとか意識しなかったし、
あとになってから気付くわけですが。
清志郎の天才を痛感するとともに、
チャボさんのギターの素晴らしさにひたれるアルバムです。
2005年10月12日
1980年の私的名盤ファイルその1
ジョン・レノンが亡くなった時の話を書いたら,
突然,25年前のあの時代の出来事が怒濤のように胸に押し寄せてきて,
あの頃,おいらは一体どんな音楽を聴いていたんだろうなと
反芻せずにはいられなくなりました。
そこで,しばらく「私的1980年名盤ファイル」をやってみたいと思います。
当時おいらはとにかくヒマさえあれば音楽を聴いているか,
ギターを弾いているかどちらかで,
ラジオから流れる気に入った音楽をチェックして,
レコードを買いに走ったり,友人に借りたりと忙しい毎日でした。
そんな時に出会ったのが山下久美子です。
たまたま聴いていたFMラジオに久美子
(こう呼ぶと引く人がいるかもしれませんが,あえてこう呼称します)
がゲスト出演していました。
流れてくる音楽はとびきり素敵で,声もおいらの好み。
「バスルームから愛をこめて」という曲でした。
その時の放送では,
「九州から出てきたばかりでまだ右も左もわからなくて〜」
みたいなことを言っていたのを覚えています。
他にも何曲かかかったのですが,そのどれもが
ちょっと体験したことのない種類のもので,
とてもハートをくすぐられました。
さっそくおいらは愛車のヤマハのミニトレをかっ飛ばし,レコード屋へ。
入手したのがデビュー・アルバム『バスルームから愛をこめて』です。
↓
たぶん一般的な認識としては,
山下久美子といえば「赤道小町ドキッ!」から続く「総立ちの女王」時代,
あるいはその後の布袋寅泰と組んだ時代だと思いますが,
あくまで久美子の原点はこのアルバムなのです。
今だからこそ言えますが,このアルバムは
ティンパンアレイ系の隠れ名盤であり,
日本のポップスの才能が結集して作り上げた
宝石のような作品です。
それと同時に、次の時代への端境期に位置する歴史の証人的な
アルバムでもあります。
つまり、これをもっていわゆるティンパン・サウンドなるものは
終わりを告げたと言っても過言ではないでしょう。
当時まだ勉強不足だったおいらはティンパン系とは何なのか,
ティンパン系のミュージシャンとは誰なのかとか
意識していませんでしたし,
とにかく,まず曲がいいこと,
アレンジが妙に洒脱でグルーヴィなこと,
そしてミュージシャンの演奏能力が高いことなどに感動を覚え,
それらをバックに歌いこなす久美子の実力は
相当なものだと思いながら聴いていました。
ここでミュージシャンのクレジットを記してみましょう。
プロデューサーは松任谷正隆(この時点で,気づく人は気づいたはず)。
アレンジは鈴木茂と松任谷正隆。
以下ミュージシャンを列挙しますと,
ドラム:林立夫/渡嘉敷祐一
ベース:後藤次利/高水健司/岡沢章ほか
ギター:鈴木茂/徳武弘文
アコギ:吉川忠英/笛吹利明
キーボード:松任谷正隆/山田秀俊
パーカッション:斎藤ノブ/ペッカー
というわけです。
どうでしょうか。これだけでも聴きたくなった人がいるのでは?
細野晴臣こそいませんが,誰がどう見ても,
ティンパンサウンド以外の何者でもないことがわかるでしょう。
おいらは,今に至るまでこのアルバムを愛聴していますが,
まったく色あせていないばかりか,この時代だからできた
人力グルーブ・ポップのクオリティの高さに驚嘆します。
おそらくいま中古盤屋では,不当に安い価格で売られていると思いますが,
紛れもない傑作ですので,興味のある人は買ってみることをお薦めします。
ここには,「赤道小町」の久美子も
「総立ちの女王」の久美子もいません。
まるでペギー・リーかローズマリー・クルーニーかと思うような
ソウルフルかつポップかつスウィートなひとりのシンガーがいます。
ディーバなどという言葉は
近頃ずいぶん安っぽいコピーになってしまいましたが,
彼女こそ,80年に存在した確かなるディーバでした。
このアルバムの中でおいらが一番好きなのは
「バスルームから愛をこめて」という曲です。
歌ももちろんいいのですが,ギター・ソロが絶品!
もう悶絶ものの気持ちよさです。
弾いているのは,何を隠そう我らがDr.Kこと徳武さんです。
エイモス・ギャレット風のとろけるようなフレーズ。
これは本当に素晴らしい! いくらほめてもほめたりない。
なんとかコピーしようとチャレンジしましたが,
あの微妙なチョーキングのニュアンスがどうしても再現できず,
悔し涙を流すこと数十回。
身も心もメロメロになるようなソロです。
このソロを聴くだけで,このアルバムは「買い」!
その後も,おいらは久美子を追いかけ続けました。
大学に入り横浜に住むようになると,コンサートにも行きました。
↓
このコンサートの感激は今でも忘れることができません。
(しかし,この頃のチケットは味がありますね)
そして,この際だから告白しますが,
その後,久美子がバック・ギタリストを募集したことがあり,
おいらはそのオーディションを受けたのです。
(書いた途端に赤面しますね)
課題曲を一生懸命練習して,ラジカセに録って
当時の所属事務所である渡辺プロに送りました。
結果は,テープ審査でものの見事に落選。
心底ガッカリしました。
そして月日は経ち,おいらはリットーミュージックに就職。
数年後にギター・マガジンに配属になりました。
配属になったその年に,あるギタリストのインタビューをしたのですが,
その相手は,実は久美子のバック・バンドが1本立ちして
ソロ活動するようになったバンドのギタリストでした。
つまり,おいらがあの時落ちたオーディションで合格した
ギタリストにインタビューしたのです。
これは本当の話です。
運命とはある意味『赤い運命』以上の
悲劇をもたらすのだと学習しました。
なんにせよ,この『バスルームから愛をこめて』。
まったく先入観もなしに聴いてもいいアルバムですし,
ティンパン・サウンドの有終の美として聴けば
もっともっとその良さがわかると思います。
80年という年は,70年代でも80年代でもない特別な年のようで,
どちらにも属さない独特の味を持った名盤がたくさんあります。
そんなアルバムについて書いていきたいと思います。
それではまた明日。















