2005年10月25日

キノコどこの子

秋や春先に里山を歩くと,雑木林のあちこちにキノコを見かけます。
おいら,どういうわけか,キノコには生理的な恐怖感があって,
いきなり出くわすと,背筋がゾワッとするのですが,
これがどうしてなのか未だにわかりません。
子供の頃に読んだ楳図かずおの『漂流教室』に,
空腹にあえいだ子供たちがわけのわからないキノコをたまらず食べると,
未来人類(クモ人間みたいなやつ)になってしまうという話があり,
とてつもなく恐かった記憶があるためかもしれません。
あるいは,キノコといえば毒,みたいな誤った先入観があるからかも。

恐いと言っても,別に店頭に並んでるシイタケやナメコなどは
全然平気なんですよ。恐いのは天然のものです。
特にいや〜な感じがするのは,いきなり土からニョキッと生えてるやつ。
倒木に生えてるやつや,養殖のシイタケなんかはそれほどでもありません。
一番ゾワッとするのは,ビル街とか住宅街とか,
人間のテリトリーでキノコを見かけた時です。
実はこないだ,そういう機会があったんですよ。

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おいらが住んでるマンションの植え込みにて発見。
うわ〜。ゾワ〜。
“緑地を大切にしましょう”みたいなところです。
こういうところで,キノコに出くわすと思い切りへこむなあ。
しかも,いっぱい生えてる。
この“いっぱい生えてる感”が余計にキモイのです。

しか〜し,一回ゾワッとくると,しげしげ眺めたくなるんですよ。
これも不思議な生理現象です。
で,このキノコなんていうキノコだろうと,名前を知りたくなる。
思わず近寄ってみたりして。これはもしかしてドコモダケ?(違うか)

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好事家として生まれたおいらの宿命ですかね。
なんか見ちゃいけないものみたいなんだけど,見たい。
しかし,花と違って可愛くねえなあ。
もう少し近寄ってみたりして。

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ますます背筋が寒くなってきました。

ところで,キノコって何なんだろう。
木の子だから,やっぱり植物だよな。食えるし。
そう考えると,いてもたってもいられなくなり,
キノコについて物の本で調べてみました。すると……
なんとキノコは植物ではなかったんです。
(そんなことも知らないのかよ,と言わないで)
クモが昆虫ではないというのと同じですかね。
(これは知ってる)

キノコは菌類なんだそうです。
つまりカビとかの仲間なんですよ。
地中深くなが〜く根を張って,土の上に傘を出し,
そこから胞子をばらまきまくるらしい。
うえ〜,よけいに恐くなってきた。
しかし,キノコには自然界で重要な役割があるそうです。
落ち葉や虫の死骸などを処理して,
土に返しているんですって。全然知りませんでした。
なんかとても重要なことを学んだ気がしましたよ。
これからは,これを思い出して,キノコを眺めることにしましょう。

ところで,同じ植え込みの中で面白いものを発見しました。

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木の根っこのところにありました。これ何だと思います?
アリの巣なんですよ。
木の根のところに盛り土をして巣を作ってるんです。
うわ〜,これはスゲエや。ちょっと感動。
天然の美ですね。
写真ではよく見えないと思いますけど,
この場面,ちゃんとアリが出入りしているんですよ。
しばらく,うっとり眺めていました。

え,キノコよりアリの巣が美しいなんて変だ?
そうですかね。

そういえば,その昔,木の葉のこってタレントがいたなあ。
関係ないけど。

ああ,片山さつきの髪の毛バッサリ切りたい。

投稿者 ギター・マガジン編集部 : 11:48 | コメント (0)

2005年10月24日

松田聖子2枚の続き

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『SQUALL』松田聖子

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『North Wind』松田聖子


う,おいらがぐずぐずしている間にコメントありがとうございます。
(ひとつ前のエントリーを参照)
そうですか,今でも『North WInd』の曲をライブでやってるんですか。
なんかうれしいですね。どの曲やってるんだろう。
「Only My Love」とかですか。あれなら時代を超えた名曲ですよね。

松田聖子のデビューは80年。
デビュー曲は「裸足の季節」で,
これがCMで使われ,やや注目されましたが,
本格的なブレイクは次の「青い珊瑚礁」まで待たねばなりませんでした。

その後は快進撃を続けていくわけですが,
ここでちょっと同時代のアイドルを見てみましょう。
代表的なのは,なんといっても岩崎良美です。
「赤と黒」でデビューした岩崎良美は,
抜群の歌唱力と,岩崎宏美の妹という血統の良さで,
デビュー時にはすでに人気者になっていました。
たしか,欽ちゃんのドラマにも出ていて,
それも人気の要因だった気がします。
(このドラマ名がどうしても思い出せない。
誰か知ってる人いませんか?)
そして,「涼風」,「あなた色のマノン」とヒットを飛ばし,
ますます人気が出ます。
おいらの記憶では聖子に大きく水をあけていたような気がします。
のちに「タッチ」が大ヒットしたため,
すっかり“タッチの人”というイメージが定着してしまいますが,
最高傑作は「涼風」でしょう。知らない人はぜひ聴いてみて下さい。
吉野藤丸作曲のガール・ポップの名曲ですよ。

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「涼風」岩崎良美

さて,本題に戻りましょう。
「青い珊瑚礁」の大ヒットによって,岩崎良美を蹴落として,
一躍,ナンバー1アイドルとなった聖子の活躍は……
と述べているとキリがないので,知らない人はどこかで調べて下さい。

聖子は1年間に2枚,
夏と冬にアルバムを出すというのがコンセプトでした。
その皮切りが『SQUALL』と『North Wind』です。
夏には夏らしいタイトルと内容の,
冬には冬らしいタイトルと内容の作品を出すという,
今考えるとひねりのないコンセプトですが,
当時なんか画期的なことのように思えました。
何より,新しいアイドルを創造しようという
当時のCBSソニーの熱気がみなぎっていて,
その雰囲気はジャケットからもプンプン漂ってきます。
この原則は84年で一区切り付いたようです。
ちなみに,聖子最高の名盤は81年冬の『風立ちぬ』と
82年夏の『Pineapple』だとおいらは考えておりますが,
これについて論じるとこれまたキリがないので,別機会に。
(つづく)

投稿者 ギター・マガジン編集部 : 16:46 | コメント (2)

2005年10月21日

80年の私的名盤ファイルその4

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『SQUALL』松田聖子

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『North Wind』松田聖子

迷いに迷って,今日はこの2枚です。
両方とも80年に出たもので,初期聖子の大傑作。
作曲家にまだ小田裕一郎を起用していた頃のものです。
前者はスタジオ界に松原正樹&今剛黄金時代の到来を告げる作品として
とらえていいでしょう。
後者には,今さんを始め,吉野藤丸や松下誠など,
新進の実力派スタジオ・ミュージシャンが名を連ね,
80年代歌謡曲サウンドのひな形を作っています。
永遠のポップスター松田聖子の伝説はここから始まりました。
(つづく。毎回数行ずつぐらいで更新していこうかな)

投稿者 ギター・マガジン編集部 : 22:19 | コメント (2)

2005年10月20日

80年の私的名盤ファイルその3

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知ってる人少ないかもしれません。
あるいは名前は知っていても、ちゃんと聴いたことのない人も多いかも。
ガールのデビュー・アルバム『シアー・グリード』です。
これも80年に出ました。

ガールはいわゆるNWOBHMシーンの中にいたバンドでした。
何? NWOBHMがわからない?
母音がたったひとつで非常に語呂の悪いこの記号のような略語は
New Wave Of British Heavy Metalを表わします。
もちろん、わかる人のほうが多いと思いますが。

70年代末期に突如として湧いたイギリスのヘヴィメタル・ブーム。
アイアン・メイデンを筆頭に、サクソン、タイガーズ・オブ・パンタン、
Y&T、モーターヘッドなど数々のバンドが群雄割拠し、
そのブームは当然のごとく日本にも飛び火しました。
ガールもその渦中にいたのですが、
そもそもバンド名がいかがなものかと物議を醸し,
ボーカルのフィリップ・ルイスの妖しい美少年系のルックスと
全員がお化粧するというメタル・バンドらしくない振る舞いが
センセーションを巻き起こして、もっぱらアイドル・バンド扱いされ、
ここ日本ではティーンエイジャーの女子を中心に人気が白熱。
古くはクイーンやベイ・シティ・ローラーズで、直前にはジャパンで
イギリスのアイドル・バンドの扱いをしっかりと学習していた
女子たちに同じ目線で見られる羽目になりました。
いや、それが悪いと言ってるんじゃないですよ。
いいじゃないですか、人気が出たんだから。

しか〜し、ギターのフィル・コリンのテクニックはメガトン級で、
それまでの概念を覆すような速弾きに、
当時のギター小僧はしびれたのです。
もちろんおいらもそのひとり。
ヒット曲となった「ハリウッド・ティーズ」のソロに代表される、
超高速6連フレーズは、それこそ目にも止まらぬ速さ。
それもフル・ピッキング。
あんなの聴いたことありませんでした。
おいらは6連符自体をこの曲で知った気がします。
(のちのちマクラフリンとかを聴いて,とっくの昔に
もっとスゴイ人がいたのだと知るのですが)

加えて曲のよさがピカイチでした。
同列で語ることはできないにしても、
当時のNWOBHMの中で曲のクオリティだけに注目してみれば、
このアルバムは、ベスト3には食い込むはずです。
とにかく捨て曲なし。
グラム・ロックあり、ロックンロールあり、
サイケあり、ポップあり、キッスのカバーありとバラエティに富み、
ダークかつビューティフルな作品です。
今聴いても、もちろんOKです。
この作品もやはり70年代とも80年代とも区分けできない
不思議な感じがあります。
日本では長いことCDにならなくて、
海外盤はけっこうマニア・アイテムになっていたようです。
海外盤を探してけっこうレコ屋を回っても見つからず,
今のようにアマゾンもなく,ただひたすら待つのみだったところへ
98年,ようやく(なぜか)クラウンから国内盤が出ました。
でも,たぶんわずかな初回プレスのみで消え去ったことは
間違いないでしょう。

フィル・コリンとジェリー・ラフィーのギターの絡みも
面白く、当時、おいらもずいぶんコピーしました。

しか〜し、人気は長続きせず、
2ndを出した後にフィル・コリンが脱退し、
デフ・レパードに行ってしまいます。
まるで音楽性の違う、
おいらに言わせれば大しておもしろくもないバンドに。
(あくまで私見ですよ。念のため)
そして解散。フィリップ・ルイスはのちにLAガンズに参加します。

今、CDのクレジットを見返してみると、
実は曲の大半はジェリー・ラフィーが作っていたことがわかります。
彼はルックスも地味でサイド・ギターでしたから、
なんとなく日が当たらず軽視されていました。
その後、バンドのウワサも聞きましたが、消息は知りません。
こんな素晴らしいアルバムを残し消えていった
悲運のギタリストがここにもいます。

ガールは当時来日も果たし、
そのライブの模様はNHK FMで放送されました。
音はあまりよくなかったのですが、テクニックは本物でした。
その時のカセットテープはまだどっかにあると思います。
時代の徒花と言うにはもったいなさすぎるこのバンド。
いつか再評価されることを望みます。
メタル・バンドの中では、ランディ・ローズがいた頃の
オジー・オズボーンの次に好きなのがガールですね。

投稿者 ギター・マガジン編集部 : 21:30 | コメント (5)

2005年10月19日

携帯電話兄弟(?)

本誌の広告を担当してくれているSという男がいるのですが、
昨日も、おいらのところへやってきて、仕事の話をしていました。
すると、突然、「変酋長、同じですよ」と叫びました。
「へ? 何が」と彼の視線の先を嘔吐、いや負うと、
たまたま机上に置いてあったおいらの携帯を射抜いていました。
「自分とおんなじ携帯です」とS。
「そ、そうなの?」
「なんか、いやですね」
「おまえに言われたかないわ!」
「いやだなあ」と言いながら、
ポケットから携帯を取り出すS。
それを見ると、確かに同じ機種で、色まで同じ。
「うわ、本当だ。なんかヤだな」
「いやですね」
「こういうのもやっぱり兄弟っていうのか」
「言われたくないですね、アニキ」
「う。まさかと思うけど、ストラップは同じじゃないよな」と
おいらは自分の携帯に付けている
謀ギター・ブランドのストラップを見せました。
すると「うわ、同じです。色は違うけど」とストラップをひらひらさせるS。
実はこのストラップは、とある発表会で粗品として頂戴したもので、
ふたりとも同じ発表会に出席していたのです。
「へこむよな」
「はい」
男同士、深く考え込むふたりでした。

実を言うと、Sの携帯と自分の携帯が同じ機種であることは、
おいらはとっくの昔に知っていたのです。
ちょっと前に打ち合わせしている時に
Sの携帯に電話がかかってきました。
そこで、おいらは見てしまいました。
「あ、おんなじ! 色まで」
この時、とっさに指摘しようと思ったのですが、
Sは電話の真っ最中で、しかもやや長話になり、
終わった時には指摘するタイミングを逸していました。
こういう人情の綾にかかわる微妙なことを指摘するには
タイミングが最も大事です。
この勘所をひとつ間違えるだけで,
その後の人間関係に大きな影響を与えますから。
「あなた、鼻毛が見えてますよ」とはなかなか言えないのと同じでしょう。
(これはタイミングの問題ではないか)。
いずれにしろ,そのタイミングを逃してしまい、
なんとなくそのままになっていたのでした。
別に指摘しなかったからといって、人類の未来が変わるわけじゃなし。

しかし、ストラップまで同じとは。うかつだった。
あの時に指摘していれば、
ストラップの重複だけは避けられたかもしれないのに。
なぜなら、発表会はあの時よりもずっとあとだったからです。
Sもおいらもギター好き、その謀ブランドも好きです。
そのストラップを仲良く付けてしまうことは容易に予想できたはずで、
Sも携帯機種のかぶりをインプットして入れば、
脳内警戒警報が鳴り響いて、もっと慎重になったはずなのです。
ま、どっちみち付けたかもしれませんがね。
もう付けてしまったものはしょうがないしな。
と、開き直るおいらでした。

投稿者 ギター・マガジン編集部 : 23:10 | コメント (0)

2005年10月18日

80年の私的名盤ファイルその2

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ご存じ,RCサクセションの『RHAPSODY』です。
これも80年の発売でした。
RCの出世作にして、大ヒット・アルバムです。
一家言ある人,いっぱいいるんじゃないかな。

お恥ずかしいことに,おいらがRCを知ったのは
このアルバムが初めてでしたが,
けっこうそういう人も多いと思います。
FMで初めて「雨あがりの夜空に」を聴いて,
そのショックにしばらくしびれておりましたが,
翌日いてもたってもいられず,ミニトレを飛ばして
レコ屋に行くといういつものパターンをたどりました。
今聴いても,全然古くさくなく,
それどころか,ああ,いいロックってこういうもんなんだ
というエネルギーと躍動感にあふれ,
ほんのちょっとのセンチメンタルが味付けされています。

聴いてると,どんどん気分が盛り上がり,
「雨あがりで」最高潮に。
その後のアンコールでは絶頂に,という具合。
もちろ〜ん,全曲コピーしました。
弾いててものすごく気持ちいいアルバムでもあります。
チャボのストロークにカッティングにスライド,
小川銀次の弾きまくりギター,
ふたりのギターのバランスが見事にとれていて,
バンドのお手本のような演奏です。

実は,この『RHAPSODY』の完全版が発売されることになりました。
タイトルは『RHAPSODY NAKED』!
当時,久保講堂で行われたライブには,
当然のごとくまだまだ曲はあり,
収録されなかった分がよみがえることとなったのです。
なんと全18曲! 当時は全9曲ですから,すごいボリュームです。
その中には,あの名曲「スローバラード」や
「いい事ばかりはありゃしない」なども!
さらに未発表写真集やDVDも付くというまさにファン待望の逸品。
考えてみれば,LP時代に
それほど売れてないバンドのライブを出そうとする場合,
全19曲の2枚組では非常にやりづらかったでしょう。
想像するに,泣く泣く削った結果が
当時の『RHAPSODY』だったのではないでしょうか。

さて,おいらにとってはこのアルバムと対になるような
RCの名盤がもう1枚あります。

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同年の暮れに出た『PLEASE』です。
“じゅぎょうをさぼって〜”まではいきませんでしたが,
これもホントによく聴いたアルバムです。
「トランジスタ・ラジオ」とか「ダーリン・ミシン」とか
「モーニング・コールをよろしく」とか,
タイトルを並べるだけで“青春”の二文字が
まぶたの裏に映し出されます。よよよ。

特に「モーニング・コール〜」に出てくる
“本物の君のキスで目をさませる朝が来るまで、電話で我慢するさあ〜”
という部分に、いたいけなチェリーボーイのおいらとしては、
少しだけ大人の世界をのぞいた気がして胸が苦しくなったものです。
懐かしいな。甘酸っぱさと黒っぽさの同居した名盤ですね〜。
実際,ソウルとかR&Bの匂いを
当時の中坊とか高校生に
知らず知らずのうちに刷り込んだのは
このアルバムじゃなかったかと思います。
ま、当時はソウルとか意識しなかったし、
あとになってから気付くわけですが。

清志郎の天才を痛感するとともに、
チャボさんのギターの素晴らしさにひたれるアルバムです。

投稿者 ギター・マガジン編集部 : 20:02 | コメント (4)

2005年10月12日

1980年の私的名盤ファイルその1

ジョン・レノンが亡くなった時の話を書いたら,
突然,25年前のあの時代の出来事が怒濤のように胸に押し寄せてきて,
あの頃,おいらは一体どんな音楽を聴いていたんだろうなと
反芻せずにはいられなくなりました。
そこで,しばらく「私的1980年名盤ファイル」をやってみたいと思います。

当時おいらはとにかくヒマさえあれば音楽を聴いているか,
ギターを弾いているかどちらかで,
ラジオから流れる気に入った音楽をチェックして,
レコードを買いに走ったり,友人に借りたりと忙しい毎日でした。

そんな時に出会ったのが山下久美子です。
たまたま聴いていたFMラジオに久美子
(こう呼ぶと引く人がいるかもしれませんが,あえてこう呼称します)
がゲスト出演していました。
流れてくる音楽はとびきり素敵で,声もおいらの好み。
「バスルームから愛をこめて」という曲でした。
その時の放送では,
「九州から出てきたばかりでまだ右も左もわからなくて〜」
みたいなことを言っていたのを覚えています。
他にも何曲かかかったのですが,そのどれもが
ちょっと体験したことのない種類のもので,
とてもハートをくすぐられました。

さっそくおいらは愛車のヤマハのミニトレをかっ飛ばし,レコード屋へ。
入手したのがデビュー・アルバム『バスルームから愛をこめて』です。

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たぶん一般的な認識としては,
山下久美子といえば「赤道小町ドキッ!」から続く「総立ちの女王」時代,
あるいはその後の布袋寅泰と組んだ時代だと思いますが,
あくまで久美子の原点はこのアルバムなのです。

今だからこそ言えますが,このアルバムは
ティンパンアレイ系の隠れ名盤であり,
日本のポップスの才能が結集して作り上げた
宝石のような作品です。
それと同時に、次の時代への端境期に位置する歴史の証人的な
アルバムでもあります。
つまり、これをもっていわゆるティンパン・サウンドなるものは
終わりを告げたと言っても過言ではないでしょう。

当時まだ勉強不足だったおいらはティンパン系とは何なのか,
ティンパン系のミュージシャンとは誰なのかとか
意識していませんでしたし,
とにかく,まず曲がいいこと,
アレンジが妙に洒脱でグルーヴィなこと,
そしてミュージシャンの演奏能力が高いことなどに感動を覚え,
それらをバックに歌いこなす久美子の実力は
相当なものだと思いながら聴いていました。

ここでミュージシャンのクレジットを記してみましょう。

プロデューサーは松任谷正隆(この時点で,気づく人は気づいたはず)。
アレンジは鈴木茂と松任谷正隆。
以下ミュージシャンを列挙しますと,

ドラム:林立夫/渡嘉敷祐一
ベース:後藤次利/高水健司/岡沢章ほか
ギター:鈴木茂/徳武弘文
アコギ:吉川忠英/笛吹利明
キーボード:松任谷正隆/山田秀俊
パーカッション:斎藤ノブ/ペッカー

というわけです。
どうでしょうか。これだけでも聴きたくなった人がいるのでは?
細野晴臣こそいませんが,誰がどう見ても,
ティンパンサウンド以外の何者でもないことがわかるでしょう。

おいらは,今に至るまでこのアルバムを愛聴していますが,
まったく色あせていないばかりか,この時代だからできた
人力グルーブ・ポップのクオリティの高さに驚嘆します。
おそらくいま中古盤屋では,不当に安い価格で売られていると思いますが,
紛れもない傑作ですので,興味のある人は買ってみることをお薦めします。

ここには,「赤道小町」の久美子も
「総立ちの女王」の久美子もいません。
まるでペギー・リーかローズマリー・クルーニーかと思うような
ソウルフルかつポップかつスウィートなひとりのシンガーがいます。
ディーバなどという言葉は
近頃ずいぶん安っぽいコピーになってしまいましたが,
彼女こそ,80年に存在した確かなるディーバでした。

このアルバムの中でおいらが一番好きなのは
「バスルームから愛をこめて」という曲です。
歌ももちろんいいのですが,ギター・ソロが絶品!
もう悶絶ものの気持ちよさです。
弾いているのは,何を隠そう我らがDr.Kこと徳武さんです。
エイモス・ギャレット風のとろけるようなフレーズ。
これは本当に素晴らしい! いくらほめてもほめたりない。
なんとかコピーしようとチャレンジしましたが,
あの微妙なチョーキングのニュアンスがどうしても再現できず,
悔し涙を流すこと数十回。
身も心もメロメロになるようなソロです。
このソロを聴くだけで,このアルバムは「買い」!

その後も,おいらは久美子を追いかけ続けました。
大学に入り横浜に住むようになると,コンサートにも行きました。

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このコンサートの感激は今でも忘れることができません。
(しかし,この頃のチケットは味がありますね)

そして,この際だから告白しますが,
その後,久美子がバック・ギタリストを募集したことがあり,
おいらはそのオーディションを受けたのです。
(書いた途端に赤面しますね)
課題曲を一生懸命練習して,ラジカセに録って
当時の所属事務所である渡辺プロに送りました。
結果は,テープ審査でものの見事に落選。
心底ガッカリしました。

そして月日は経ち,おいらはリットーミュージックに就職。
数年後にギター・マガジンに配属になりました。
配属になったその年に,あるギタリストのインタビューをしたのですが,
その相手は,実は久美子のバック・バンドが1本立ちして
ソロ活動するようになったバンドのギタリストでした。
つまり,おいらがあの時落ちたオーディションで合格した
ギタリストにインタビューしたのです。

これは本当の話です。
運命とはある意味『赤い運命』以上の
悲劇をもたらすのだと学習しました。

なんにせよ,この『バスルームから愛をこめて』。
まったく先入観もなしに聴いてもいいアルバムですし,
ティンパン・サウンドの有終の美として聴けば
もっともっとその良さがわかると思います。

80年という年は,70年代でも80年代でもない特別な年のようで,
どちらにも属さない独特の味を持った名盤がたくさんあります。
そんなアルバムについて書いていきたいと思います。
それではまた明日。

投稿者 ギター・マガジン編集部 : 18:23 | コメント (3)

2005年10月06日

ラヂオの時間

先日の渡辺香津美の取材のときのことをもう少し。

この日、取材はNHKのラジオスタジオで行ないました。
これまでにも何度かNHKで取材することはあったのですが、
ラジオのスタジオというのは初めて。
ちょっと興味がありました。

カメラマンのUさんと待ち合わせて入り口をくぐり、
目的のスタジオへ向かいます。
途中、廊下のソファのそこここに、
何やら武士の扮装をした俳優らしき人たちが休憩しています。
あ、大河ドラマだな、とピンと来ました。
すると、Uさんが
「変酋長、変酋長」と呼び止めます。
「なんですか」
「今、石原さとみがいましたよ」と最高の笑顔。
「ええええっつ! マジすか」
「本当です」

く〜、じゃあやっぱり大河ドラマだ、「義経」だ。
タッキーはどうでもいいけど、わざわざNHKまで来て、
石原さとみを見逃すとは。惜しいことをしました。

さて、スタジオに到着。
まだ本番収録中で、DJ香津美の軽妙なトークを聞きながら
ミキサーのある調整室で待たせてもらうことに。
待っているあいだ、スタジオを見回すと、
想像していたよりはるかに立派でした。

本番が終わり、香津美さんがブースを出てきたのでご挨拶。
撮影場所を決めるために、ちょっとブースに立ち入ると、広い広い。
40畳くらいはありそうです。
この広いスタジオの中央あたりに
ちょっとしたDJスペースをしつらえてあり、
そこで香津美さんはマイクに語りかけるのです。
(DJ香津美の雄姿は12月号で。乞うご期待)

この広いスタジオを見ていたら、
ラヂオの時間』という映画を思い出しました。
三谷幸喜監督による作品で、
生放送でラジオドラマをやることにしたのはいいが、
さまざまな問題が持ち上がり、
ドラマの筋が脚本とはまったく変わってしまうというコメディです。
スタジオの感じとか調整室の感じとかがあの映画にそっくりなんです。

こういう感じか(しみじみ)。

横の方にピアノがあったので、寄っていくと、
なんとスタインウェイのグランドピアノです。
このスタジオ、聞けば、ビッグバンドの生演奏も可能ということ。
きっと数々の名演を生み出してきたのでしょう。
ブース全体に歴史の重みが刻まれていました。

中学生の頃から、エアチェックにいそしんでいたおいらとしては、
FMラジオには並々ならぬ愛着があります。
おいらが昔聴いたクロスオーバー系の生セッションとか、
竹内まりやのスタジオライブとか、
桃井かおり+憂歌団セッションとかも
もしかしたらこのスタジオでやったのかもしれないな
と考えると、と感慨もひとしおでした。

香津美さんの取材は無事終了。
お疲れさまでした。

エレベーターを降りて「もしかしたら」と思い、
さっきのソファのところを見ましたが、
石原さとみの姿はありませんでした。(了)

投稿者 ギター・マガジン編集部 : 08:01 | コメント (1)